美粒と微粒とは(言霊と音霊)
美粒ブログ、10月7日に美しい粒とは(美粒の本質)を書いたのである。BERYUという音にもうひとつ意味があるのが、微粒なのである。微かな粒(かすかな)である。ナノテクノロジーのもうひとつの言葉が微粒なのである。世の中には、気体と液体と固体がある。気体になれば、もはや形をみることはできない。ばらばらになった状態なのである。その気体の粒とは、原子のことなのである。その原子を構成しているのが、陽子と中性子なのである。(陽子や中性子を構成しているのがクオーツである。そのクオーツを構成しているのが、ひもと呼ばれているものである。)ばらばらになろうとしている力を結び付けているのが核力という力なのである。それも美しい粒なのである。液体であれば、その一滴を一滴として成り立たせている力が、界面張力なのである。内向きに引っ張り合っているため、球になろうとしているのである。それも美しい粒なのである。固体は、分子間の引力、それも電気的な力で、ひとつになろうとしているのである。だから、微粒の美しい粒になろうとするには、その内部に引っ張ろうとする力以上の力を乱さず掛けなければいけないことになるのである。気体上の原子まで、話がいくと、核分裂反応になるので、ここでは、液体と固体の微粒化に話をとどめるが、いずれにしても、物理的に物を細かくするには、それなりの力が必要だということは、頭にいれて置いてください。
微粒化するためには、力を掛けて、乱さないように、抑えていけばいいというのが、多段減圧モジュールの考え方なのである。一気にエネルギーを解放したら、どうなるかは、(10月3日の美粒ブログの視覚化された乱れとは)、および、NANO3000のHPの技術資料等を見れば分かるはずなのである。結果として、ノイズがなく、効率がよく、気泡が媒体となって、凝集することがなければ、微粒化できるのである。それこそ、美粒の本質なのである。だから、NANO3000の装置をひとつの小宇宙だとすると、そこから見える世界も、ひとつの大宇宙の相似形(フレクタル構造)と感じられるのである。特に、心の乱れと、装置内での流体の乱れは、粒としてみると、つじつまがあうのである。装置は、物理的な考えである。人の心は、心理的な考えである。しかし、それを別々に考えるのではなく、統一した上位概念で捕らえると、実に符号する点が多いのである。それが、乱れなのである。それは、気象も原子力も、同じなのである。乱れは複雑系である。論理が見えない世界なのである。それを本当に理解するのには、人間の直観力が必要になるのである。
これらの情報が色々と拡散しているため、日本の大企業も日本の研究機関も、実はアメリカの企業まで、今まで出来なかったものが、出来ているのである。多段減圧モジュールや泡レスミキサー等の特許の上に色々な用途や新規性の物質や製造プロセスを載せて、あらたな特許を申請しようとする組織や企業が増えてきているのである。現にすでに特許申請を出している大企業があるのである。私にとっては、ある意味どうでもいいのである。なるようにしかならないのである。それ以上に、私自身が問題にしているのは、人の心の乱れの問題なのである。地球温暖化は、法律や規則で押さえ込んでも、抑えきれるものではないのである。10月8日、(美粒ブログ法の秩序を守るには)、で書いたように、法律で抑えきれるものではないのである。それは、一人ひとりの心に訴えなければ、解消するものではないからである。地球規模で、人口密度を測るしか方法がないのである。つぎからつぎへと、未開拓の地に文明の嵐が侵入し、一人一人のエネルギー量を無制限な自由という名の悪魔がささやきかけ、あげようとしているのである。後進国の人に、車を使うな、石炭を使うな、原子力はつかうな、エネルギーをつかうなとは、先進国の人は言えないはずなのである。自分たちが謳歌した自由を、独り占めし、後進国の人に使わせないようにすることは、出来ないのである。エネルギー問題を政治的や経済的な話だけで、済ませても、結局は、一人一人のエゴがあるために、そのエゴが企業間エゴ、地域間エゴ、国家間のエゴに発展するために、纏め上げることが出来ないのである。最終的に、地球温暖化で、何か異常気象がおき、多数の死者が出なければ、動かないのである。それがあっても動かないかもしれないのである。最終的には、食糧危機で、人口が大幅に減らない限り、再構築できないかもしれないのである。餓死する人がでるのである。異常気象で亡くなる人がでてくるのである。まさしく、広島、長崎の原爆投下後の地獄が再現されようとしているのである。
心の元になっているのは、やはり粒なのである。液体の粒子が界面張力で球になるのと同じように、それを纏め上げているのが、命という内向な力なのである。それが、自由という名のエゴで、エネルギーが高い状態にあるのである。ちょっとしたきっかけで、切れて、爆発するのである。だから、馬鹿みたいな犯罪がおきるのである。だから、馬鹿みたいな紛争がおきるのである。だから、馬鹿みたいな戦争が起きるのである。一度上がったエネルギーは、自らはなかなか潜熱があるために、外に放出しないかぎり、下げられないのである。言葉ではわかっているのである。しかし、自らのエゴを自らのエゴでは、どうにも制御できないのである。結局、心の問題である以上、宗教家もその宗教という壁に自ら囲われているために、自縄自縛になっているのである。階級や組織というものの中で生きている限り、自分を客観視できないため、自分が乱れていることに気づかないのである。だから、何かきっかけがあれば、原爆のように、一気に爆発するのである。
すくなくとも、何か意見があり、何かを表現したい人がいれば、その人は、それを世に広める努力はすべきなのである。私は、今までそれを怠っていたのである。この多段減圧モジュールは、あまり広く宣伝しなかったのである。宣伝しても、それをよく見せる努力をしなかったのである。私はそれでもいいと思っていたのである。何かあれば、企業が探しにくるだろうと、いわば、駆け込み寺状態で自己満足していたのである。もちろん、その恩恵にあずかった企業はたくさんあるのである。ある企業は、その分野で、世界のトップの市場をとり、ある会社は、泡レスミキサーとNANO3000を組み合わせて製剤化し、馬鹿みたいな利益を生み、最近では、ゴールデンにTVコマーシャルを打てる力をもったのである。ある企業が、ある人の紹介で弊社へやってきたのである。何をやっても出来ない、従来の手法では特許で抑えられているから出来ない、最後の手段だったのである。簡単とはいかなかったが、出来たのである。ほぼ同時に、同じ手法でやってきた企業がいるのである。採用しようとしている装置が不安だから、やってきたというのである。もちろん、簡単にできたのである。その研究者の人がいうのである。「この粘度があるものが、この装置を通して粘度が落ちたら大変なことになるけどできるかな」、私には、一発でわかったのである。「簡単ですよ、空気がかんでいるだけです。力を掛けて乱さなければ、その粘度は一発でおちますよ」案の定、簡単に落ちたのである。「今まで、だれもこの原因を突き止めた人はいなった、空気だと想像していたが、大学の先生でも分からなかった。それを実証する術がなかった。これではっきりとした」そういったのである。そのとき、まったく面識のない二人の大企業の技術者にまったく同じ言葉を言われたのである。その言葉がいまでも焼きついているのである。「社長、この技術を眠らしておくのは、いけない。自分の会社のことを思えば、知らせないほうがいいかもしれないが、これをもっと世に広める努力をしなければならない。世間では、泣いて困っている技術者がいっぱいいるのです。社長は、もっと広める努力をすべきです」それから、私は、広めるための努力として、HPやブログを研究したのである。被リンク数をあげるには、どうしたらいいか、N数を広げるためにどうしたらいいか、そのために、音楽配信までつくったのである。HPやブログには、アクセス解析をつけて、ネットの人がどううごくのか、研究したのである。ライフドアーとメインのHPに同じブログをつけてみたのである。自分が書くものが、どう動くのか、検索ロボットは、どう反応するのか、それとマーケットはどうなるのか、参議院選挙後から、つらくても、毎日書いたのである。この履歴をみれば、どれだけ書いたかは分かるはずである。両方で最大で訪問者数で400人、PV800を一日でかせいだこともあったのである。あくまで、目的は、自社のHPに人をひきつけることだったのである。何を書けば、検索に引っかかるかもわかったのである。検索ソフトの上位にくる方法論もわかったのである。私の目的は、ある程度達成され、ある程度納得したのである。そのことを通して、ブランドイメージとは、企業イメージとは、なんなのかを考えたのである。そして、多くの人を呼び込むために政治関連のものを、たくさん書いたのである。しかし、それは、やはり、はやりもので、時間がたてば読まれなくなるのもわかったのである。私は、ある程度、ベースが出来たところから、本来の目的に転じたのである。それが、心の粒なのである。心の砂漠化、一億総心の病時代等、心の制御、心の原爆に関連したことなのである。その内容は一貫しているのである。しかし、言葉では、これが限界であるとわかっているのである。
自分の書いた詩を若い人に歌わせたのである。それもひとつの表現の媒体だとおもったからなのである。しかし、考えてみれば、メロディーは歌えても、その歌詞の意味合いを出せるには、若い人では年齢が届かないかもしれないのである。歌も言語(言葉)と同じように、時間に対しての感情の変化なのである。演説(語りかけ)と同じように、それに抑揚をつけたのが、歌なのである。歌詞の内容を実感できなければ、やはり無理があるのである。それが、音霊と言霊なのである。言葉に時間に対しての感情(抑揚)の変化をつければ、音になるのである。言霊が音霊に変わるのである。そして、その音霊の本質が、心の粒の振動から生まれるものなのである。歌や声の技巧ではないのである。人の心を打つためには、歌い手の心の粒(美しい粒)のスピン(振動)から発生された波動が必要になるのである。それが、聞き手の心と作用し、聞き手の心に歌い手の美しい粒が再現されるのである。ラジオやテレビと同じなのである。
乱れた心は、なかなか、元には落ちないのである。宇宙の流れは、この装置の小宇宙と同じように、微粒化と美粒化へと、向かっているはずなのである。人の命がそれと戦い、自分たちのエゴを守ろうとしているのである。その結果、色々な弊害が出てきているのである。何かのきっかけがあれば、崩壊するのである。そのためには、一人一人の心に訴えなければ、この高エネルギーの心の乱れは静まらないのである。心の粒のスピンがノイズをうけ、狂い掛けているのである。それをもとにもどすには、正調な心の粒のスピンから振動する波動を世に伝播しなければならないのである。そのための最大限の努力はしなければならないのである。
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