行政の無駄を指摘する会計検査院、不当利得をなくせ。
今の会計検査院は、まさしく錦の御旗をかざす隠密部隊である。行政の支出が正当に行われているかどうかを検査し監査するところである。昔、国の行政機関と研究開発の委託業務を行ったことがある。あるとき、弊社にも会計検査院がやってきたことがある。当時の行政機関が適切に業務を行っていたかをチェックするためである。その行政府の担当官は、キャリアであったが、会計検査院には、平身低頭であった。国のあり方や、行政府の仕組みから、たぶん、身内には優しい会計検査院だが、民主党が参議院で過半数をとったため、国政調査権で、会計検査の開示を求めたら、身内にも優しく出来なくなったはずである。だから、国補助事業をめぐる12道府県の不正経理が、約5億5000万に上ることがわかったのである。国のあり方をみれば、過去も、同じことが繰り返されていたはずである。
私的な流用は、ほぼないはずである。多少、交通費を水増ししたり、たとえば、PC5台分の発注料金で、6台PCを入れさせ、そのうちの一台を私的に流用したりするケースもあったはずである。仮に、何かあったとしても、国庫に返納できる範囲の流用であるはずである。社会的な範囲での横領までは、行かなかったはずである。公務員ひとりひとりに、横領できる度胸はない。社会保険庁のように、組織全体で、横領まがいの行為を行っている場合を除くか、それが隠蔽できる環境でなければ、横領などできない。もし、横領を横領と呼ばせないような行為を仕組める官僚であれば、その人は、官僚などとちめちめした地位にとどまらず、まちがいなく、政治家になっているはずである。
行政の無駄というのは、ある意味、非常に難しい定義なのである。行政府は、利益を残すことができない。民間の営利団体とは違うからである。基本的に支出と収入とが、つりあわなければならない。収入(行政府に支給される予算)=支出+経費、であり、そこに、民間のように、利益項目があってはならないからである。私的な流用が、あったとしても、1%以下である。その支出先は、業者である。お金は、業者、つまり市場にながれることになる。ある意味、単純に、お金がばら撒かれることになる。本当に無駄になるのは、そのうちの、仕入原価である。ある意味、材料費である。それ以外は、市場に消えることになる。ある意味、無駄のようにみえて、市場に還元されているのである。本来はそうなるのが、筋なのである。
ある意味、行政が執行する予算は、公共事業費として、景気をした支えするものである。そこに、癒着や随意契約や還流や天下りという不当利得を発生させる土壌がなければ、公共事業はいいことなのである。不当利得とは、汗をかかないで、不当な利益を得ることである。本来の力では得ることができない利益を得ることである。行政から発注が掛れば、こんな楽なことはない。汗をかかずとも、仕事がもらえ、利益がでるからである。もちろん、こんな甘い汁を吸えるのであるから、何かのキックバックは、必ずあるはずである。それが、大掛かりになれば、官僚の天下りとなる。再就職斡旋ということになる。あきらかに、会計検査院が指摘した無駄遣いで発生した業者の不当な利益分は、(つまり、総利益―正当な利益=不当な利益 )、発注した官僚や役人のために使われるはずである。それが見返りである。それが公務員の身分として、一番おいしいところである。公務員から、その暗黙のおいしいところをとったら、何ものこらなくなる。たぶん、ばかばかしくなって、頭の良い人は、だれも上級公務員になる人がいなくなるはずである。会計検査院には、それを指摘する権限はない、それは、税務署である。会計検査院と税務署がもし、組んだら、業者から還流や見返りされる官僚の実態が暴露されるはずである。そうなれば、この国の官僚制度は崩壊するはずである。
越後屋から、お代官様に菓子箱を渡す。お代官様は、菓子箱の蓋を扇子であける、「越後屋、今回はこれだけか」といえば、「お代官様、もうすこし、儲けさせてくださいよ」と越後屋はいい、小判の包みを、お代官のたもとにいれる。「越後屋、ソチもわるよの」といえば、「お代官も」と越後屋もいい、「わ、はっ、はっ、」「わ、はっ、はっ、」と双方で笑いあうのが、世の常道である。お上と業者との関係は、残念ながら、今日まで続いている。それを、黄門さまに知らしているのが、風車の弥七であり、お銀である。会計検査院が、風車の弥七組になれるか、お銀組みになれるかである。たぶん、なれない。なぜなら、会計検査院も公務員だからである。
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