オリオン星座をみていると、UFOがいてもおかしくないと感じる。
だんだんと、夜の温度が下がっていく。つい最近まで、軽装でよるジョギングしていたのだが、上に一枚トレーナーを着て、走らないと、体がもたない季節になった。5km前後を走っても、汗はかくが、家に帰って、そのまま風呂に入れば、気になる汗の量でもない。そう、つい最近まで、夏であった。そして、秋になり、もう、あきらかに、晩秋を向かえている。そして、夜が更けていくと、そこには、もう、冬が来ているのである。なぜなら、夜、ジョギングを終え、ストレッチをしていると、東の空に、オリオンの三ツ星が綺麗に縦一文字にならんでいるのが見えるからである。そして、その下から、一番明るいシリウスが、昇ってきるからである。それは、冬の星座だからである。気づかないうちに、冬の冷気が、霊気となり、直ぐ近くまで忍び込んできている。
夜の星座、特に、冬の星座をみていると、そのまま、自分が逆向きになり、夜の空間に無重力となって、落ちていきそうな錯覚に駆られる。まるで、宮沢賢治の銀河鉄道のように、地球の重力の束縛から解放されれば、真空に近い宇宙へそのまま拡散していく感覚さえもつ。そして、その星が核分裂核融合を起こして、熱を発し、それが光となって、あの輝きを拡散している。その光が、長い年月を掛けて、光速のスピードで、私の目の中にも届いている。そして、その光は、私の脳の中で、収縮し、消える。何気なく星をみていると、そんな思いがしてくる。そして、ふと、この宇宙の中に、自分がいるという事実を認めれば、確率的に、私と類似した生物がどこかにいてもおかしくはないと感じる。すくなくとも、0ではない。なぜ、0ではないかというと、今、自分がここにいるからである。
率直に、無の境地にたって、次元を増やしていく、そして、素直に、この宇宙のありかを肯定してみる。良く分からないが、なぜか、この世はある。目的があるのか、そこに、ロジックがあるのかわからない。とにかく、なにかの縁で、この世があるのは事実である。それが、あるのであれば、別の宇宙があってもおかしくない。原子を測るオングストロームの単位からみれば、自分の体は、無限に近い大きさである。もちろん、地球はもっと大きいし、冬の星座のオリオンまで含めれば、無限の無限に近いものである。世の中は確率論である。ごきぶり君のたとえがよく、引き出される。ゴキブリ君を一匹みつけたら、その台所にはごきちゃんがたくさんいるということである。それと、同じことがいえるはずである。自分がいる。だから、自分と同じような感覚をもったものも、たくさんいる。この宇宙がある。なら、これと類似したものが、あってもおかしくはない。この宇宙が、オングストロームの原子の大きさと同じであれば、この宇宙が無限個にあつまるものがあってもおかしくはない。だから、UFOがいてもおかしくはない。逆に、UFOがいなければ、おかしなことになる。自分がここにいる。それは、あきらかに、ゴキブリ君と一緒のはずである。ただ、ゴキブリ君が賢いので、我々には、その一匹しかみえないだけである。世の中は摩訶不思議である。自分がここにいて、何かの意識をもっている。それは、この無限に近い無限からみれば、奇跡に近い、しかし、次元を考えれば、ここが、そこであることもありえるのである。我々には知覚できないものが、私の背後にいてもおかしくはないのである。たしかに、よくよく、考えると、それを否定する論理もないし、この世の約束事では、肯定することは出来ないはずである。だから、積極的にUFOを否定することもできない。確率論的にみれば、UFOがいてもおかしくはないとだけはいえる。なぜなら、別な人からみれば、我々がUFOであるからである。
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