大学生の大麻汚染、世間はそれをどうみるか。

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 世の中は、みんながそれなりに生きれるような暗黙の了解の上になりたっている。100人いれば、100人全員が、幸せになれるように、考えているが、世の中には、楽して生きようとしている人がいたり、逆に、不幸せを求めて自虐的に生きようとする人もいる。がんばろうと汗をかいて生きようとしようしている人には、それなりの応分の収益が与えられるものである。もちろん、世の中には、がんばろうと汗をかきたくても、かけないで苦しんでいる人もいる。何かの障害をもった人たちである。少なくとも、社会全体で、その人たちにも命の尊厳は保障してあげなくてはいけない。だから、その人たちの支援のために有効に税金が使われるのなら、だれも、それに文句を言う人はいない。

 

 人生は、長いようで短い。学生から社会にでると、坂道を転げるように、歳月は流れ落ちる。長期の休みがなく、毎日、働くからである。そして、結婚し、家族ができれば、家族のために、働くからである。嫌になったから、はい、辞めますとは、簡単にいえないからである。上司が気に入らない、トップがおかしいといっても、よほど、非人道的な扱いを受けない限り、世間は、それをわがままとみる。転職として、旨くいく条件は、たったひとつしかないのである。惜しまれて辞める事例である。ヘッドハンテング的なものである。その人の能力や実績に対して、企業が正当な報酬を与えられなかった場合である。それ以外の自己都合の転職は、やめなければならない事由が、その人本人にあると世間は考えるものである。それが、不可抗力的なものである場合を除き、それをわがままとみる。だから、そのわがままを満たされるまで、転職は続くが、それは、下降線になる。条件が悪くなるからである。そう、世間や社会というのは、若い人が考えているほど、甘いものではないのである。

 

 学生が、大麻所持で逮捕される。有名大学をパスした人たちである。もちろん、見つかり、逮捕されれば、普通は退学処分である。ネットや仮想空間に、なれている人は、大麻の種が簡単に入手できる。それを、こそっと、栽培するのである。麻薬成分は、大麻の葉の中にある。たばこが良くて、大麻が悪いという理由は、わからないが、大麻の方が、次の刺激をもとめ、覚醒剤に走りやすいからといわれているが、真偽はわからない。いずれにしても、社会では、だめだということである。だめというものに、手をだしたら、どうなるか、社会はそれを許さないということなのである。ある一面、社会とは、恐ろしいものなのである。大麻を所持しても、誰にも迷惑を掛けているわけではない、仮に見つかっても、執行猶予がついて、たいしたことはないと思い込む。スピード違反や駐車違反で検挙されるものと同類だと、考える。とんでもない話なのである。退学処分を受ける。その時点で、有名大学から、想定できる社会の階層には、入れないことになる。そして、何かあるたびごとに、逮捕の前歴が、あぶりだされる。それが、大麻所持、麻薬関連であれば、それで、NGなのである。

 

 何回も書く。世間は、みんながそれなりに生きれるような暗黙の了解の上になりたっているのである。生きることも、危ういことなら、その社会の中で、家族をまもり、家族を育て、そして、命の終焉を迎えるのは、大変なことなのである。多くの企業のトップは、従業員が、家族を養えるような安定した職場を作れるように、がんばっている。政界も企業も、行政も、その上にたって、切り盛りする人は、けっして、自分のエゴのために、働いているわけではない。一部の人は、そういう人がいたかもしれなしいるかもしれないが、それは長続きはしないものである。そのトップは、かならず追い出されることになる。それが、世間というものである。どこかに、利他の精神がなければ、トップなど、出来るわけがないのである。

 

 上に立つものは、自分のエゴを満たすためにやっているように、見える。権力があるからである。しかし、それは、誰のために、それをつかうのかである。世間で、自分も生きたいからである。そう、世間は、みんながそれなりに生きれるような暗黙の了解の上になりたっている。だから、利他を求めるしか生きる術がないのである。学生は、それがわからない。わからなくてもいい、いつか、分かるときが来る。しかし、大麻や覚醒剤はいけない。それは、あきらかに、みんながそれなりに生きれるような暗黙の了解を破壊するからである。故意に人を殺害する。故意に人のものを盗む、故意に人に傷害を与える。これは、犯罪である。しかし、どうしようもなく、人に傷害を与えることもある。最悪、人の命を奪うこともある。それは、日常生活で、だれもがありうることである。運が悪いこともある。そういう場合には、意外と世間は同情するものである。そう、だれも、大麻所持で捕まった学生に対して、同情などしないのである。

 

 人は、生きることに何かしらの意義を見つけたいものである。それが、ある意味、宗教でもある。しかし、それは、個人が勝手にそれを求めるだけである。人は生まれて、子孫をつくり、そして滅びる。自分ひとりだけではなく、みんなと一緒であるから、社会ができる。みんながそれなりに生きれるような暗黙の了解がある。何か大層なものがあるかのように見えるが、突き詰めればそれだけである。なにか、あるのかもしれないが、それだけかもしれない。それは永遠に分からないことである。虚無になって、世間とのかかわりを絶って、生きることは、逆に難しいのである。だから、利他のために生きることになるのである。それで、エンドになる。それだけでいいはずである。

 

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このページは、中野満が2008年11月18日 12:05に書いたブログ記事です。

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