小室哲哉容疑者のやり方からみる博打人生とは
大衆への商品、音楽、芸能もふくめ、それらは、不特定多数の人から支持を受けることで、お金儲けをするものである。知名度、認知度があがることで、商品の細部が分からなくても、確率論的に売れるものである。機械装置販売や、ある特定とした商品は、特定とした少数を対象にして、商いをするものである。俗に、いう垂直思考的商売(少数特定)、と水平思考的商売(不特定多数)との対比でもある。ある意味、まったく、やり方や考え方が違う。医薬品と化粧品(医薬部外品も含む)との違いでもある。医薬品は、効能があり、効く事を前提としている。薬であるから、その病をもつ特定とした人を対象とする。化粧品は、たとえ、効果効能があっても、薬事法でそれがいえない。仮に、効能をもつものでも、効能のないものと同じ扱いを受ける。有効成分がたくさん入っている化粧水も化粧品、単に水に防腐剤をとかしたものでも化粧水、だから化粧品、つまり、それは、不特定多数への販売を意味するのである。だから、化粧品は、水平思考的な商売なのである。イメージをあげる。認知度、知名度をあげれば、確率論的に売れることになる。認知度をあげるために、有名女優を莫大な宣伝費を使って使うのである。その経費は当然に原価に反映されることになる。
垂直思考的な商売方法で、水平思考的商売を考えても、拉致があかない。結果が残せないし、逆もまた、しかりである。小室哲哉容疑者が手がけた音楽事業というのは、まさしく、大衆を相手にしたものである。音楽事業のうちでも、クラッシク音楽や民謡音楽のジャンルであれば、まだ、垂直思考的な要素がある。技術や技巧が、あるからである。もちろん、クラッシク愛好という範囲であれば、それだけ、少数化され、狙う対象もクラッシク愛好家に特定されるからである。俗にいう歌もの、はやり歌は、対象は老若男女である。そこに、少数特定化される必要もない。逆にあってはならない。まさしく、ロジスチック方程式に近い挙動をうむ、確率論の世界がまっているだけである。初期のころは、指数関数的に動き、あるところから、急激にのび、そして、対数的に、ある常識の範囲の所で、寝てくて、そして下降するという感じである。
小室哲哉容疑者が考えるように、それは、半永久的に鼠算式に増え続けるわけはないのである。物には、はじめがあれば、おわりがある。不特定多数に関していえば、最初はなかなか支持されない、売れるわけがないのである。損益分岐点以下である。大衆と商売をするには、それだけの覚悟がなければ、最初から手を出してはいけない。音楽事務所も、新人を売りだすのに、いくら容姿端麗、歌もそこそこうまいといっても、ハイ分かりましたと、すぐに商品価値がでるわけがない。知名度があって、はじめて、タレントとしての価値があるのである。テレビ局のメインの収益は、広告費である。ただで、大衆に番組を見せている。テレビ局を運営しているお金、番組を制作しているお金、そのお金が広告宣伝費である。ある意味、視聴率が重要になる。多くの人が見ているから、企業はお金をだせるのである。テレビの媒体に広告を乗せるから、高いお金を払って、タレントを使うのである。それは、不特定多数の認知度が、そのタレントの価値となるからである。だから、ある程度、タレントや歌手に商品価値がでるまでは、時間が掛るのである。
もちろん、かけたからといっても、商品価値がでるとは限らない。10人にいれば、一人か二人程度である。逆に、そういう世界だから、当たれば、大きくなるのである。ミュージシャンで、100人、コンサートで集客できれば、一人前である。つまり、損益分岐点はそこらへんになる。それ以下であれば、事務所の持ち出し、いわゆる、タレント、ミュージシャンに対しての投資である。ビックなホールで2000人集客できれば、すごいことである。つまり、100人から1000人、2000人、集客できるにつれて、年収が対数的にあがるのである。数百万が数千万、数億、数十億である。小室哲哉容疑者は、全体で、その数十億円を十年単位で、トータル数百億以上を稼ぎ出したのである。人生は、一度きり、小室哲哉容疑者が、何かの偶然が重なり、巨額の富を得ても、それが、二度続くことはないのである。確率論である。数億円の宝くじが、連続してあたることは、ありえない。0ではない、しかし、数億円の宝くじを連続した当たる確率と、数億円の宝くじをあてた後、交通事故にあたって、ぽっくりいく確率のどちらが、高いかといえば、ぽっくりの方が高いはずである。
タレントやメジャーを目指してがんばるミュージシャンも多い、しかし、音楽事務所が付いて、メジャーのレーベルデビューしても、大衆の支持をうけて、そこそこになるのは、10人に一人いけばいいほうである。そう、タレントの事務所は、その一人で、あとの9人を食べさせているのである。それが、10人中2人になれば、その事務所は、左団扇である。つまり、10%から20%の中をうろうろしているのである。野球選手の年俸が2割5部から3割5部の間で変化するのとおなじである。0.35とれば、首位打者である。毎年それをとれば、イチローのようになる。ある意味、それは、博打である。人気と一緒である。どこかで、寝てきて、それから衰退するのである。数百億円以上の資産があれば、博打に手を出さなければ、なくなることはなかったのである。詐欺を働かず、弁護士と相談して、弁済計画を立てればよかったのである。小室のブランドを有効に使い、質素に生活していれば、数十億の借金など、きちんと返済できたはずである。小室哲哉容疑者になった後では、そのブランドは地に落ちてしまい、価値がなくなってしまった。
小室哲哉容疑者、もう50歳である。しかし、後20年は生きなければならない。柳の下にドジョウは二匹はいない。実態は同じでも、詐欺として捕まらなければ、世間には、小室ブランドはある程度は通用したはずである。ブランドは知名力であり、最後は、小室哲哉の小室が、ブランドとしてお金になったのである。それさえも、パーにしてしまった。その方が、よほど、痛いのである。実態を見て、見栄をすて、債権者とじっくりと弁護士を通して、話し合いをすれば、債権者も、そのブランドで返済できると確信したはずである。それを裏切ってはどうにもならない。それが、まさしく博打人生、凶とでたのだから、しょうがない。
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