飯島愛さん、別な生き方はなかったのかな?

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 ネット上の仮想空間では、色んなAVタレントの動画が流れている。検索をかけて、追っていけば、飯島愛さんのAVもある程度の無修正で見える。たぶん、頭のいい飯島愛さんは、そんなことは知っていたはずである。それを前提にして、芸能界に入ってきたのだから、ある程度の開き直りはあったはずである。自伝本のプラトニック・セックスでも、AV時代の過去を暴露している。過去は過去と割り切り、そして、バラエティ番組でも、ユニークなキャラで売っていた。もともと、感受性がつよく、繊細のため、傷つきやすかったのは、事実である。そう、飯島愛さんには、隠せるものがなかったのである。これは、相当しんどかったはずである。バラエティ番組に進出するまえ、AV女優として名を売っていたとき、多くの男性はそのセクシーさに憧れをもったはずである。その記憶が頭にあるはずである。映像としてみたとき、画面の中で裸体をさらす女優を、セックスの対象としか、普通はみない。それは当たり前である。アダルトビデオとしてみている映像に、女性の裸体が出てこなければ、男なら誰でも腹が立つからである。もちろん、それは、アダルトビデオとしてみているからである。当然に、文芸作品の映画での濡れ場で、清純な女優が裸体をさらけ出すのとは、意味が違うのである。

 

 男性は、興味本位で、飯島愛さんの女性としての秘められた箇所を覗き込んだはずである。そして、多くの男性は、それを頭の中にしまいこんだはずである。エリートの社員も、学生も、全部が全部ではないが、その機会があれば、飯島愛さんの無修正に近いビデオをこっそりと見ていたはずである。ある意味、当たり前といえば当たり前である。飯島愛さんは、それを分かっている。わかっているから、AV引退後も、それにへこたれないように、前に前に自分の姿を露出していったのである。「私のビデオをみていたのでしょう、そのわたしがここにいるのよ、なにか、文句ある。」そういう強い開き直りがなければ、飯島愛さんは、きっと、生きていけなかったはずである。

 

 なぜなら、人生は一回きりで、過去を消せないからである。AVで撮られた事実、それは消えないし、今のネット社会、仮想社会では、それをもみ消すことができないほど、巨大になってしまったからである。簡単にデジタル複製など出来なければ、多くの人の目に、無修正の裸体や絡みなど、触れることなどない。昔の日活ロマンポルノの女優さんと飯島愛さんとでは、時代が違うのである。残念ながら、飯島愛さんの人気が、デジタル複製化やネット社会まで、生き延びてしまったからである。逆に、飯島愛さんが、バラエティ番組等で、テレビにでればでるほど、昔のAVの無修正が、裏として流通し、それが、ネットの表として出てくるのである。

 

 飯島愛さんは、気丈な人である。しかし、心のどこかでは、それが耐えられなかったはずである。表面上では、愛さん、愛さんと立ててくれる。しかし、出会う人が、飯島愛さんと別れて、個人の時間に帰って、そこに、彼女の若いときの裸体があれば、それを見てしまうのは当然である。飯島愛さんが、魅力的であればあるほど、性の対象としてみるのは当たり前。そして、何食わぬ顔をして、その人が飯島愛さんをみれば、感受性のいい飯島さんなら、一夜のうちに、その男性の視線に野獣のにおいを感じてしまうはずである。もちろん、そういう人だけではない。しかし、あの美しさが面前にあり、その裏が簡単にあれば、その魔力に誰でも引き込まれてしまう。

 

 これは、耐えられないはずである。飯島さんががんばろうと、過去にまけずがんばろうとすればするほど、過去の自分に捕らわれる。36歳にしては、飯島さんは、美しすぎたのである。これほどの建て前と本音のギャップの例をしらない。建て前では、礼を尽くす。当たり前である。しかし、その裏では、欲望の仮想のなかで、飯島愛さんは、いじられてしまう。そこに、無修正にさらされた彼女の姿態があれば、男は、そこにのめりこんでしまう。もちろん、犯罪でもなんでもない。そして、また、礼を尽くす。そんな妄想など微塵もなかったかのように、私はそんな男ではないと、いう態度で接する。彼女は、男の生理を分かっている。男の欲望も分かっている。だから、それを責めたりはしない。

 

 耐えられないと感じていた。だから、芸能界から引退した。きっと、普通の恋愛をしたかったはずである。最初から、自分の恥部を見られているのと、恋愛の過程で、見られるのでは、その意味あいは違っている。AV女優は、しかたがなかったとしても、それから引退後、自分が忘れられるぐらいの時間の長さを、やり過ごすことはできなかったのだろうか。飯島愛さんの動きをみて、この現実を考えれば、彼女が無理をしていたと考えるのが妥当である。大丈夫だと考えていたことが、本当は大丈夫ではなかったとすれば、過去のAVの残像が相当、彼女の心理に大きなプレッシャーを投げかけていたのは事実であろう。

 

 知名度が上がりすぎた。そして、ネット社会では、その有名人の無修正の画像が流れている。ネットで検索していけば、無料でも彼女の動画はどこかで転がっているはずである。不謹慎である。しかし、それが、人間の欲望なら、それもしかたがない。だから、人の前ではみない。分からないようにしてみる。見える環境なら、だれでも見てしまう。結果からみて、36歳で終末を迎えてしまった。それもある意味、孤独死である。きっと、別な生き方があったはずである。しかし、それをいっても、意味はない。ある意味、激しい無常観を感じる。ご冥福を祈るだけである。

 

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このページは、中野満が2008年12月25日 17:25に書いたブログ記事です。

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