霊とは何か、霊感とはなにか

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 霊という漢字を、辞書で調べると、雨と巫(巫女)を足した漢字であることが分る。神様に雨乞いをする巫女という内容である。それから、巫女、神、魂、死者、死者の魂、不思議、命、精神という意味合いに発展する。通常、霊というと、死者の魂と想像するが、霊という漢字には、それ以外にも、よいもの、こうごうしいものという意味もある。霊場とは、死者の霊が錯綜する恐ろしい場所ではなく、神々しいよい場所という意味である。霊峰、富士は、神聖な威厳ある山という意味で、死神に取り付かれた山ではないのである。

 

 そう、霊とは、この命ある世界とは、別なところと交流する物や者をさすはずである。そして、霊感の強い人とは、向こうからやってくるものを感じる能力が、通常よりも、強い人をさす。だから、霊感が強いというのは、本来は、一つの感受する能力だが、この時代にとっては、これが強いことがあまりプラスに評価されることはない。逆に、変な目で見られることのほうが多い。なぜなら、人は自分の論理に合わないものを忌み嫌う傾向がある。だから、論理になじめない自分と異質な世界と交流すること、それ自体から目をそらしたいからである。

 

 死者の霊が存在するかどうかはわからない、すくなくとも、特定の死者の霊が、特定の形で生きている人と相互交流することはない。だからといって、死者の霊が存在しないとはいえない。つまり、分らないのである。この現実の世界で起きている事柄が、人間界のロジックで納得できるものなら受け入れる。それ以外は、排除するか、分らないもの、非現実的なもの、空想的なものとし、そのロジックから、はじかれるのである。だから、死者の霊を存在できる証拠がないから、ないというのである。その証拠をつかさどる論理も、人間のあくまで主観的な判断である。つまり、考える人、観察する人がいなければ、それもなくなってしまう。人間がいようがいまいが、関係なく、世の中の絶対的な真理としての普遍性など、この世にないのである。あると絶対的に思っても、その人がいなくなれば、それ自体、意味を失ってしまう。この世から、人間がいなくなれば、それで終わりなのである。どこかで、何百億年後に、知的な生物がうまれ、その人たちが、何かのロジックを作り上げても、今の人間のロジックと同じかどうかはわからない。たぶん、違うであろう。世の中とは、基本的にそういうものだと思う。

 

 霊とは、なにかわからないものである。我々は、普通、自分を中心にして世の中を考える。自分を現実の場のひとりとして、位置づける。そして、自分が生きている時間の中から得られる情報を基にして、自分の周りで起きる出来事を判断する。他人と比較することで、自分というものに垣根を作る。そうして、知らず知らず、自分というものが出来上がる。自分が中心である。それは当たり前であるし、それだから、生きていられるのかもしれない。しかし、自分が生きているこの世界に実態がないと仮定したら、自分が生きているのか死んでいるのか本来分らないものだとしたなら、どうなるであろうか、そう、この世が、霊であり、あの世とよばれているものが、実態があるとすればどうなるのだろうか。

 確かに、今の宇宙論を見ていると、ビッグバーン宇宙がこの世を作ったことになる。この宇宙は、風船の内側に存在していることになる。どうかんがえても、この宇宙よりも、次元が大きいものがあることが前提となる。私がここにいるということは、もっと、次元の違うところに、なにかがあると考えないとおかしくなる。視点を別のところに置けば、この世こそ、すべてが混沌として、自他の区別もない、霊的なところとなる。この世とあの世というものをおけば、この世こそ、霊空間であり、あの世こそ、なにかしらのものであると考えたほうが正しい。自分は霊であり、実態がない。次元の違うあの世があって、あの世の何かの作用によって、今時分がいるように感じる。

 

 確かに、この世は、苦しいことが多い。昔からそうである。だから、西国浄土を夢にみる。あの世に極楽を感じたのである。ある意味、それは正しいのかもしれない。もちろん、この世が霊的なものであるから、この世から去ったら、自分を区別することはない。この世のロジックからみて、何もない状態である。何もないということも感じることができない状態である。生まれる以前に、自分はない。それと同じだと思えばいい。それを惜しむなら、この世で、命尽きるまでがんばればいい。

 

 この世こそ、霊的である。だから、自分を感じず、色々な人と相互作用するのが、正しいことになる。そして、霊感の強い人ほど、この世が霊的であると分る人である。自分はない、それは、命によって、霊の何かがスピンして、それが、自分を作り出しているに過ぎない。そう思えば、命尽きるまでの間、生きていても、人生が楽と感じるはずである。

 

 

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このページは、中野満が2008年12月31日 18:56に書いたブログ記事です。

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