性能UPでコストダウンのエコでなければ、経済は動かない。

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 歴史はどうやら繰り返すようである。その歴史とは、江戸時代の一揆に近いものである。どうやら、経済は負のスパイラルに入ったようである。先行きへの不安心理が、経済にブレーキをかけるからである。これは、政治の閉塞感につながってくる。消費がないから、ものが作らない、ものが作らないから、下請けに仕事がこない。そうすれば、金が回らなくなる。金が回らなければ、倒れるだけである。負の連鎖が生じる。そのために、かつては公共事業がカンフルとして機能した。しかし、いままで時計まわりに動いていた大きな歯車がとまり、逆向きに動きだそうとしているのである。そうなれば、これを止める手段はない。世界全体で、何かを作り出そうと(消費)する方向へ動かないと、お金は回ってこない。このような閉塞感はむかしにもあった。そのとき、人類は、消費する方向へ舵をきった。それが、戦争である。ある意味、物と人が消費されるのが戦争である。作ったものが焦土となり、人も同じように焦土となる。残念ながら、現代はそれができなくなった。それが未曾有の大不況になった。この63年間は、ある意味、プラスの方向である。戦後復興から、IT革命と、世界は63年間で、特にこの20年間で、とんでもなく発展したのである。これが飽和したのである。そう、今までは戦争を繰り返した。それまでの価値をすべて否定し、ゼロにしたのである。ある意味、借金の棒引き、資産や債権の放棄である。バランスシートを無理やりに0にあわしたのである。リセットである。勝った国も負けた国も相当な痛手をうけて戦後復興したのである。それが一つの共同の幻想となり、それによりお金が回ったのである。

 

 今は、戦争もできないし、エネルギーを無駄にすることもできない。地球全体がひとつの鎖国になったのである。しかし、物は消費されなければならない。しかし、その消費の代わりに、温室効果ガスは排出してはいけないという縛りがついた。なぜなら、温暖化防止に反するからである。そう、この大不況を生み出しているのは、実は、人間なのである。地球温暖化に対する恐怖が、消費を止めたからである。圧倒的なN数をもつ不特定多数が、このままでは良くないと思ったから、消費がとまったのである。ある意味、まともなことである。従来の手法はもう使えない、圧倒的なN数をもつ不特定多数が、それを望んだのである。だから、何をやっても、動くわけがない。それを動かす起爆剤が、エコしかないのである。エコロジー運動で、経済を動かすしかないはずである。消費させるには、物を消費させることで、エコにつながることを認知させなければならないからである。政府も定額な給付金などやめて、エコ商品、エコ動力推進に対する補助を推し進めたほうがいいはずである。

 

 実はコストダウンこそが、エコロジーなのである。ハイブリット車は、従来の車よりも高いのは、製造コストが高いからである。それに関るタイムコストが高いのである。それは、エネルギーの消費を意味する。つまり、一見、ハイブリット車は、エコロジーに見えるが、トータル的には、エコロジーではないのである。ハイブリット車が、性能が同じかそれ以上で、コストが従来のガソリン車以下になって、はじめて、エコロジー車と呼ばれるべきである。なぜ、経済が動かないか、それは、コストダウンした結果の商品がないからである。

 

 クリーンな燃料、グリーン化、太陽光発電、熱音響力学を利用した熱交換器、コストダウンをはかり、クリーンな環境をはかれば、あと、何千年は、戦争しなくても、人類はこの地球で生きていくことができるはずである。太陽光と熱を利用する。海水から脱塩をして、砂漠にその水をひけば、砂漠がオアシスになるのである。大きな歯車が逆転したのは、圧倒的なN数をもつ不特定多数が、それを求めたからである。エコロジーは、中々むずかしい、しかし、それは、コストダウンを図ることと同じなのである。経済は、大不況になる。しかし、人間が生きている限り、経済活動はゼロにはならない。仕事がいくのは、品質が良くて、コストが安いところにいく。つまり、性能UPしコストがダウンするところは、エコロジーだということである。そして、反エコロジー的なところは淘汰されていく。そうして、地球全体は、回復の方向へと向かう。

 

 今、この世に生きている人は、オアシスを見ることはできないだろう。しかし、我々の子孫は、必ず、オアシスをこの地球で作り出すと信じている。その結末をみることは、できないが、そうなることは予想できる。この大不況が終わるときは、エコロジーがすすむときである。いままでのように、楽して給与がもらえる反エコロジー的な事柄は消えているはずである。この世にオアシスが出来るのをみてみたいが、人の命には限りがある。残念だが、それはお迎えがきた後のあの世で、見ることにするしか方法がなさそうである。

 

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このページは、中野満が2008年12月 2日 13:17に書いたブログ記事です。

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