他力本願と自力本願の本当の意義(長いものには巻かれるふりが必要である)

 他力本願と自力本願は、宗教的な意味合いで使うことがあるが、もはや、それらの言葉は日常的な言葉として使われることがある。本願は共通した言葉であるから、それらは、目的を達成すると置き換えることが出来るから、違いは、他力と自力ということになる。

 

 他力の本来の意味は、自力では限界がある。自力で出来るところまでやり、後の結果は、人が決めることである、つまり、他の人の力を借りて、目的を遂行しなさいというものである。自力の本来の意味は、他人を当てにしても、意味がない。神様をたよるにしても、神様に頼れるところまでは、自力でがんばりなさいということである。結局、他力も自力も同じ事を言っているのである。

 

 企業論や経営論等で、組織の力と個人の力を論ずる人がいる。組織だけでは、機能はしない。個人の力だけを頼って、唯我独尊的でも、目的は成就しない。目的を達するには、かならず、長いものに巻かれるふりがどうしても必要なのである。そのふりが出来る人が、大成する人である。ふりである。それを演技と見破られ、人間的に浅はかな人だと、長いものに思われたら、それでお終いである。へつらいやゴマすりも、昔の植木等さん演じるサラリーマンなら、それも一つの美学である。それが、出来る人は、長いものに巻かれるふりが出来る人なのである。長いものに巻かれるふりが、一番うまかったのは、豊臣秀吉である。織田信長のような狂信的に自力しか信用していない権力者の下にまわって、信長にまかれるふりをして、のし上がったのである。徳川家康が、天下をとったのは、豊臣秀吉の配下にまわり、長いものに巻かれるふりをしたからである。もし、秀吉の生前にはむかえば、徳川家康は、秀吉に殺されていたからである。徳川家康は、他力本願論者である。信長は自力で切り開き、他力を信用してこなかった。つまり、他人への気配り、他者への根回しをしなかった。やはり自力と他力のバランスが一番よかったのは、秀吉なのである。

 

 家康は、ある意味、運がよかった。秀吉のミスは、自力と他力のバランスの上で自力が勝っていたため、死後の根回しを怠った点である。石田三成に、後を任せたからである。これも、ちょっとしたことである。石田三成は、秀吉と同じ自力が勝るタイプである。他者への根回しが弱かったのである。石田三成が信頼したのは、今話題の上杉の直江兼続である。もし、密議がうまくいってたら、三成と兼続とで、家康は挟み撃ちになって、滅んでいた。しかし、そうはならなかったのは、三成が他力としての根回しを怠ったからである。

 世の中は、必ず、美しい方向へと流れる、それがある意味、美しいものの法則である。何が美しいかは人によって分かれる。主観だからである。自力を誇り、自分の能力を誇示してみても、それだけではうまくはいかない。限界があるからである。よほどのことがなければ、人間の能力など、たいしたことはない。自分が出来るなら、他人も出来ると考えたほうがいい。ゴキブリと一緒である。自分が、一番だと思ったら、自分が一番と思う他人もたくさんいるということである。その中で、ずば抜けてトップならいい、客観的な評価が得られるものならいい。しかし、世の中、芸術も技術も、ほとんどすべてが、客観的な数値で選別できるものは少ないのである。

 

 能力がどんぐりの背比べなら、後は、他人への根回ししかないのである。どれだけ、多くの人の支持を自分に取り付けられるか、ある意味、支持率をどれだけ獲得したかなのである。知名度ではなく、支持率なのである。政治家と同じように、どれだけ、他人と会い、頭を下げたり、懇意になってもらうように、お願いできるかなのである。それは、ある意味、コミュニケーション能力なのである。今の若者が一番欠落しているのは、そのコミュニケーション能力である。社会的な適応能力といってもいい。それがあれば、どんな商売でも、正規雇用を受けられるはずである。個人的なスキール能力など、そうたいした差などない。音楽にしても小説にしても絵画にしても、何かしらの賞を取れて売れる人は、出版社やレーベルや業界関係者に対して、良好な人間関係と社会的な関係を構築できる人なのである。

 

 ゴマをする必要なない。ただし、長いものには巻かれるふりは必要である。そのふりがふりと見破られないくらいの人間性が必要である。意外と難しい。そこに、誠や正義がなければ、ふりなどできないからである。

 

 世の中は、美しい方向へと流れる。何故だか分からない。しかし、乱れすぎず、押さえ込まず、ある範囲の自由度が一番美しい、1/fのゆらぎとは、その美しさでもある。たぶん、あの世は、1/fのゆらぎの世界である。だから、あの世を極楽浄土、西国浄土と透視したはずである。そして、この地球の経済も、1/fの波動で動くことになる。行き過ぎた強欲の市場経済論者は、淘汰される。美しいエコロジーが浸透し、温暖化もすこしづつ解消の方向へと向かうはずである。それが、見えないあの世の法則だからである。

 

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このページは、中野満が2009年1月19日 14:10に書いたブログ記事です。

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