美しくなるための秘策 (心のダイエット)

 世の中、何が美しいか人それぞれだという、しかし、それらを集計していくと、大体、個人差はあっても、人がいいというものは、自分もいいと感じるものである。意図的にへそ曲がり根性で、ある人がいいといったものを、よくないという人もいる。火は、ある意味、美しく妖艶である。しかし、火事のように、無秩序に炎がでれば、普通の人はそれを美しいとはいわない、美しいというのであれば、望遠で対岸の火事の風景としてそれをみれるからであって、近場であったら、恐怖の方が先行する。水もゆったりとながれるのならいい。近場であれば、水の乱れの力におののく。穏やかに、浜辺に打ち寄せる波は美しく感じるものである。しかし、巨大台風が接近した暴風雨の波をほとんどの人は美しいとはいわない。

 

 まったく、動かないものを人は美しいというだろうか、死んだ人をみて、哀しむ人がいても、それを美しいと感じるだろうか、美人であっても、死に顔に死化粧をしないかぎり、率直に、美しいとはいわないだろう。美しく感じるためには、ある程度の動きが必要だということがわかる。つまり、生きていることが、条件となる。いくら容姿端麗の絶世の美人であっても、死んでしまったら意味がなく、生き生きとしていることが重要だということがわかる。それが、美しさの条件となる。

 

 人は、食べ物や栄養分を外から取らなければ生きていけない。病院のベッドに寝かされても、栄養分を点滴されなければ、死んでしまう。自分の力を鼓舞できないほど、衰弱したら、人は他力を借りなければ生きていけない。だれもが、階段を上るはしんどいと感じる。下りるのは易しい。それが自然の摂理である。何もしなければ、楽な方向へ、安定する方向へ流れているのが、時間である。なぜ、そういうことになっているのかは、わからない。ある意味、生きるのはしんどいことである。化粧をすること、あえてダイエットをすること、走ること、動くこと、それは、しんどいことである。しかし、それをすることが、生きることである。自然の摂理に逆らって、階段を上るようなものが生きるということである。その姿勢は美しいはずである。そう、普通は、壊れる方向へとうごく。人が死ぬように、ものは崩壊する方向へと動く。しかし、この宇宙は崩壊していない、ある秩序をもって、生き生きと動いている。それは、美しい動きでもある。いつか崩壊するかもしれないが、人間の想像を絶する以上の長い間、この世は、あり続けている。それは、美しいからである。だから、この世は美しいということである。

 

 美しいものを分析すると、それらは滅茶苦茶なものではないことが分かる。ノイズは美しいとはいわない。ガラスを引掻けば、誰でもギャーという。しかし、ガラスをゆったりと、たたけば、美しい音色がでる。満員のすし詰め状態にしてしまえれば窮屈である。さりとて、水をぼこぼこ沸騰状態にさせるようなものは、行き過ぎているように感じる。昔から腹8分目がいいといわれている。つまり、行き過ぎる点の8分ぐらいが、ちょうどいい、そのくらいが一番美しいということになる。俗にいう、1/fのゆらぎとは、その近辺でのものの動きの状態をいうのである。

 

 美しくなるためには、すべてを8分目ぐらいにしておく、100%の前に行こうとするものを、20%の力で抑え込むことなのである。メーキャップも、ここまで行きたいと思う気持ちを20%押さえ込んで、描くのである。すべての極意は、そこにある。繰り返す。80%の力でかけといえば、普通は、20%の力を弱めて、80%の出力でかく。押さえがないから、80%は、ある意味、100%になる。100%の前に行こうとする力でかくのである。しかし、20%を逆向きな力で抑え込めば、前に行こうとするものは、80になってしまう。おなじ80でも、まったく意味が違うのである。では、その20%の逆向きな力とは何か、それがどういうふうなものか、それが分かれば、誰もが成功者になる。うまくいく人は、それを知っている人である。言葉で書いてもわからない、実感できそれを実践できる人がある意味、うまくいっている人である。

 

 ダイエットでも、食べないで50kgをキープするのと、食べたいものを食べ、それを何かの形で消費させて50kgにキープするので、同じ50kgの容姿でも、まったく違う。まさしく、運動か何かの形で、50kgにしたほうがはるかに美しくみえる。なぜなら、努力をしているからである。生きる努力をしているのと同じだからである。

 

 笑い顔も美しい、100%、腹を抱えるくらい笑うのもいい、しかし、笑いつかれてしまう。20%の力で抑えると、その抱腹絶倒の笑いが美しい笑い顔になる。その笑い顔が、ゆらぐからである。生き生きしているからである。

 

 美しいと思う人は、やはり、生き生きとしている人である。明るく振舞い、他人に優しい人、年齢ではない、増えかかる体重を、何かの形で、押さえ込む努力をして、明るく微笑む人、そして、場を明るく和ませる人、その人がいるだけで、回りが和み、明るくなる人、そういう人こそ、本当の意味で美しい人である。宇宙が美しいように、この世が美しいように、そういう美しい人は、森羅万象の美しさと同期して、美しい人生をあゆむような気がする。

 

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このページは、中野満が2009年1月22日 13:18に書いたブログ記事です。

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