派遣社員(非正規雇用者)の悲劇、
携帯電話やパソコンの発達により、人は人と関らなくても生きていけるようになった。個人主義の考えで、人と口をききたくなければ、それで済む時代でもある。やるべきことをやれば、人から干渉されたくないし、あえて、人とコミュニケーションをとって、相手の機嫌をとることもめんどくさいと考える人が増えている。おはようございますと大きな声で言わなくても、うつむいて、パソコンの前で仕事をしていればそれでいいとおもう人もいる。他人と関ることが、苦手で、できるなら、誰からも干渉されず仕事をして生きていたいと思う人が多くいる。
企業に入れば、個人のわがままは許されなくなる。上司がある程度、個人のことまで干渉してくる。それを鬱陶しいと思う人もいる。しかし、正規雇用されれば、企業は、よほどのことがない限り、解雇など簡単にできない。解雇事由がある場合や自己都合以外には、人をやめさせることなど出来ないのである。そこのギャップに、派遣の問題がでてくるのである。アルバイトでも派遣でも、非正規雇用者であれば、不用になれば、解約を申し入れたり、期間付きであれば、更新をしなければいいのである。原則的に、企業が人を正規に雇用し、その本人が定年までいたいと思えば、働けるのである。原則、終身雇用制である。そのために、企業は、社員に教育をする。ほとんどの大手の企業は、新人研修をおこなう。組織の規律や技能を修得させるためである。
30歳から35歳までが、企業を野球でたとえるなら、二軍選手と一緒である。本格的なマウンドで勝負ができるのは、35歳以降、つまり一軍に上がってからである。会社員で、もっとも重要なのは、30歳から35歳までをどう生きて、どうがんばったかなのである。そこで学んだことが、将来を決定づけるのである。機械設計をやっていた人は、35歳以降、機械設計で勝負することになる。化粧品の開発に従事した人は、35歳以降、化粧品の開発で勝負することになる。そこで、真剣にがんばって、活路を見出した人が、40歳、50歳と上に行くことになる。
一番、悲劇なのは、その間を派遣で生きた人である。派遣であれば、使い捨ての感覚である。そこに、教育もなければ、そこで、骨を埋めようとする覚悟もない。企業側と派遣社員側に、人間的な交流はない。そこにあるのは、双方の打算だけである。すべてが、右肩上がりであればいい、派遣であろうと、アルバイトであろうと、常に、何らかの求人の需要が社会にあればいい、40歳になっても、50歳になっても、60歳になっても、職があるからである。人に技能があり、そこに専門性があれば、職に溢れることはない。食べていけるからである。
しかし、今回のような大不況が襲ってくれば、一番真っ先に切られ、路頭に迷うのは、非正規雇用者である。人も、慣性の法則に従う。楽な方向へ楽な方向へと流れるものである。あえて、職場の人間関係に気を使い、まわりにあわして生きたいと思わない。できるなら、気ままに生きたいと思うのが自然である。そういう心理のなかで、派遣に対しての規制を緩和したらどうなるか、企業は、正規雇用を抑圧し、非正規雇用をふやし、社員の教育や訓練に掛る費用を減らし、楽な経営を行うはずである。
今年の三月の末、多くの企業は期末を迎える。非正規雇用者に対しての来期の契約の更新を、多くの企業は行わないだろう。そうなれば、桜の咲く頃、より多くの失業者が町に溢れだすはずである。そして、中小企業は、銀行等の融資が受けられずに、ばたばたと倒産していくはずである。構造改革で、拡張してきたことが、一気にしぼむことになる。大不況がおころうとなかろうと、バブルは必ずはじけるものである。未来永劫、膨張し続けることなどありえないからである。
一体、あの構造改革路線で生まれたものは、一体なんであったのか、結果から見れば、それは幻想であった、それも実態のないバブルだったといってもおかしくはない。経済とは、実体のない仮想のゲームと言ってしまえればそれでお終いである。しかし、そこで働いているのは、生身の人間である。もし、時間がとまり、年齢も変化しないのであれば、再度やり直せばいい。5年の歳月が流れれば、全員5歳、歳をとるのである。30-35歳の一番大切な時期を無為にすごすほど、辛い事はない。非正規雇用に対しての規制が強化されれば、企業は、正規雇用として雇わなければならない。そうなれば、そこに本来の企業側としての役割が復活するのは必然だと思う。
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