はやぶさ、冨士、消えるブルートレイン
東京発、九州行きの夜行寝台特急、ブルートレインが、とうとう3月14日のダイヤ改正で姿を消す。昭和43年10月ダイヤ改正前の時刻表をみると、東京発のブルートレインが颯爽と並んでいる。17:00発、列車番号1番の長崎、佐世保行きのさくらである。17;05分、博多行きのあさかぜ2号、18:00発、熊本行きのみずほ、18;30発、鹿児島本線経由、西鹿児島行き、はやぶさ、18:40発、日豊本線経由、西鹿児島行き、冨士、19:10発、博多行きのあさかぜである。みずほが、1994年12月に姿を消し、さくらとあさかぜが2005年3月1日に消えて、そして、はやぶさと冨士が消えることになる。
ブルートレインの20系寝台客車は、1958年10月1日のあさかぜに投入されたのが最初である。走るホテルと呼ばれた。九州行きブルートレインは、食堂車を連結して、豪華な旅を満喫させてくれた。その名残が、トワイライトエキスプレスやカシオペアに受け継がれている。新幹線が青函トンネルを渡らないため、東京や大阪から札幌にいく豪華寝台列車に、高度成長を支えたブルートレインの華やかさがいまでも残っている。
九州行きのブルートレインは、夕方東京を出発して、関西に夜中につき、そして、山陽路をひたすら走る。EF58、EF65、そして、EF66と機関車を変えながら、三段寝台の20系からニ段寝台の14系、25系と客車を移し、40年から50年、走ってきたのである。大体、広島を過ぎてから、夜が明ける。通路側の補助席を倒し、そこから流れいく風景を眺める。岩国を過ぎれば、山陽線は、瀬戸内海の波打ち際を走る。きらきらと輝く瀬戸内を眺めることになる。大阪発のブルートレインでは、夜が明ければ、すでに九州にはいっている。岩国からの山陽路の風景は、昔も今もそれほど変わりがない。穏やかな瀬戸内の風景が見えるだけである。東京発のブルートレインは、その空間を朝方通過するのである。朝焼けに走るブルートレインは絵になる。
285系電車寝台のサンライズ出雲も瀬戸も、昔は、ブルートレインだった。だから、東京駅のホームには、さくら、みずほ、はやぶさ、冨士、あさかぜ、出雲、瀬戸が次々に出発していた。最後に、急行の銀河がでて、一日の長距離の終わりを告げる。昔の東京駅のブルートレインの出発ホームは、14、15番線であり、そこには、色々なドラマがあった。そこには、携帯電話もなく、パソコンもなく、デジタル機器もない、人間のアナログ的な旅情があった。伝えるのは、手紙であり、急ぎであれば、電報であり、人知れず、声を聞きたければ、公衆電話で、コインを落とし込んでは、相手の声のありかを探り合うことであった。
残念だが、時代は、ブルートレインを必要としなくなった。廃止されるのがわかってから、
多くの人の注目を集めた。銀河が廃止されるときは、銀河に人があつまった。しかし、そのときも、はやぶさ、冨士は走っていた。しかし、はやぶさ、冨士には人が集まらなかった。だから、廃止されることになった。人が集まらないのに、車両を新しくして、走らせることなどしない。確かに、日本は豊かになった。ブルートレインの寝台空間にプライベートな空間が確保されないから、人はブルートレインを敬遠しだした。B寝台なら外側から、誰かが、カーテンを開ければ、寝顔を見られる可能性はある。個室寝台であれば、鍵がかかり、きちんとプライベート空間が確保される。もちろん、個室寝台は高い。費用対効果がないと判断された結果である。だから、廃止されるのである。
東京から九州へ行くのであれば、飛行機の割引を使えば、はるかに安くいける。長距離夜行バスを使えば、もっと安い。昔は、ブルートレイン、それより安く行こうと思えば、東京を昼間にでる、急行列車があった。気の遠くなるような走行時間である。さくらと対比したのが、長崎/佐世保行き、急行雲仙西海、東京10:30発である。はやぶさと対比するのが、西鹿児島行き、桜島、東京発11:30、西鹿児島14:05、霧島、東京12:30発、西鹿児島15:21である。そして、冨士と対比したのが、当時の最長である、急行高千穂である。東京11:30分にでて、終点西鹿児島に着くのが、翌日の16:44分である。ほぼ、30時間、走り続けるのである。飛行機でいけば、2時間弱である。
最後のブルートレイン、はやぶさと冨士が消える。東京駅のホームから、あのブルーは消える。ブルートレインにのって、高度成長を支えて、今は亡くなられた人も、あの世からきっと惜別を送っていることであろう。
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