宗教の本質とは、人は死後の美しさを求める。
人は、確かに生殖行為の結果として、母体から生まれる。それは、客観的な事実である。しかし、そこに、どんな自我が形成されるか、わからない。そして、時間軸とともに、人は変化していく。一瞬、一瞬、自分の外にあるものとの相互作用により、万物は変化していく。もちろん、自分を支えている自我も変化していく。自分が自分で統一的にいられるのは、記憶があるからである。昨日、何をしたか、一年前は、何をしたか、自分の名前は、家族は、友達は、すべてが、記憶の中にあるから、今の自分が、何であるのか判断できる。もし、記憶が失われたら、今の一瞬の自分しか認識できない。昨日の自分は、消えてなくなっている。それが、本来の自分なのである。たまねぎのように、むいていっても、結局は、ないのである。そこにあるのは、命が限られた有機物で構成された生命体である。自分、自分とむきになって、自己主張しても、空回りするだけのものである。そう、寝ていているとき、この世の自分はいない。そのまま、息が絶えれば、煙のように消えてしまう。次の朝、意識がもどり、睡眠前の記憶がもどれば、生きていたことになる。けっして、それは当たり前のことではない。
人間は、記憶をもっている。記憶があるから、生きれるのである。そして、記憶があるから、逆に、苦しみ、死後をおそれるのである。だれでも、死をおそれる。当たり前である。若くて、感受性の強い人ほどおそれるはずである。だけど、安心したらいい、死は、ある意味、安らぎでもある。生まれたものは、いつかは必ず滅ぶというよりも、もともと、自我は、実体のない仮想のものに過ぎないからである。もともとないものが、普通のない状態に帰るだけの話である。本来は、そういうものである。しかし、人間は、命のある限り、生きなければならない。目的など、ない。しかし、生きるための方便を人それぞれ、見つけなければならない。そうしなければ、虚無の中で、生きることの意義を見失い、生きることを停止するからである。
だから、人間は、死後に美しい秩序ある世界を求める。この世の仮想の主体が、自分である。その延長線上の死後の世界にも、仮想の主体を置いたのである。言葉が難しい、簡単にいえば、美しい世界を置いたのである。この世が、川なら、川の終着の大海原を想像したのである。穏やかで、緩やかで、時間が停止したような、この世の苦しみの対極の姿を死後に求めたのである。それが、宗教である。だから、人生の坂道をおり、この世の終わりを感じ出し始めたときから、人は、あの世を夢みるのである。見なければ、この世で生きていけなくなる。仮想である自分の実態が崩れるからである。崩れかける自分を支えるのが、宗教の本質なのである。
どんなに栄華を誇っても、どんなに地位や名声や富を得た人も、人間である以上、必ず、終わりが来る。仮想の自分があると思うから、それが、なくなるのは、恐ろしいはずである。しかし、もともと、ないものが、ないものにもどるだけの話である。そう考えたほうが楽なはずである。もし、そう考えないのであれば、後は、宗教のロジックを徹底的に信じるしかない。この世は、ある神様に作られたもの、その神様の教えを守れば、死後も、ある神様のお導きで安らかな世界へと生きることができる。そう信じることで、人はこの世を生きることができるはずである。これは、すべてを信じきらなければならない。最後までそれを信じ切れたら、それはそれですばらしいことである。そして、その信仰心を共有できる人たちと死後の感触を分かち合えることができれば、それはそれですばらしいことである。死後の世界も一つの今を生きるための方便なのである。実体があろうが、なかろうが、関係はない。それで、安心して、今を生きれるなら、そのロジックに自分を捨てることである。捨てれば、自分と言う実体が仮想であったとわかるからである。ある意味、自分はある神様の化身であると錯覚しても同じである。そう、自分にとって、ある神様とは、絶対だろうが、自分と同じようなひとが、この世にはたくさんいる。それと同じ数だけ、ある神様は、いるということである。なぜなら、自分が夢みるある神様と、Aさんが夢みるある神様が同じであるとは、どうしてもいえないからである。自分とAさんは違うからである。
残念ながら、人は死んだらそれで終わりである。死後に何があるのかわからない。その死後の恐怖で、今の命が阻害されたら、意味がない。逆に、その死後のロジックで、今の命が邪魔されて、うまく生きれなくなったら、それはそれで意味はない。今を精一杯生き、与えられた命を全うできるためのひとつの方法論が宗教である。だれも信じないというのもまた、ひとつの宗教である。それで、その人が、今を精一杯生き、与えられた命を全うできるのなら、他人がどうこう言えるものではないからである。
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