メジャーデビュー直前のあまゆーずが美粒にやってきた。
4月12日の芦屋の国際ファンラン以来だった。美粒の化粧品事業としてお付き合いしだしたのは、昨年の秋からである。そのころは、普通の何気ない音楽が好きなおねいさんというイメージだった。サンケイミュージックの推薦を受けてから、彼女たちは、確かに綺麗になっていった。あうたびに、屈託のない笑顔が印象的だった。彼女たちの親族とも、コンサート等であった。娘を気遣う普通の家族であった。本当に、どこにでもいる、何気ない、家族であった。
5月18日から産経新聞夕刊(関西版)の新関西笑談のコーナーで、尼崎発癒しの歌声というテーマで、元保育士デュオ、あまゆーずが連載記事で紹介された。最初に、その新聞を開いたときに、その紙面の大きさにびっくりした。そこに、白黒ではあったが、ゆーみんこと、濱田由美子さんとあーやんこと寺内章華さんの談笑する写真が、目に飛び込んできた。事務所の社長さんやサンケイミュージックのブロデューサーの先生の苦労をも影ながら見てきただけに、ここまで、たどり着けたことを、率直に私も喜んだ。
あまゆーずは、運がいい、普通は、メジャーデビューすることなど、到底不可能に近い。最初に見たとき、あまゆーずは、そこらへんのおねいちゃんという印象しかなかった。それがどんどん大きくなっていく。そう、作られていく。時代が彼女たちを呼ぶのか、それとも、プロデューサーの先生や事務所の社長の執念が流れを変えていくのかわからない。しかし、彼女たちを支えてみたいという心理が、まわりからおきるのは、ゆーみんとあーやんの人柄がそうさせるのだろう。彼女たちから湧き上がる人への愛が、まわりの人をそういうふうにさせようと作用させているとしか思えない。
ゆーみんが突っ込む、それをあーやんがぼける。つっこみとぼけのコミカルなながれが、彼女たちにはある。それを敏感に感じるのは、お年寄りの人と小学生の子供だちである。そこに、愛され支持されれば、あまゆーずは、国民的なアイドルになる可能性がある。
人生とは不思議である。うまく行く人もいれば、うまくいかない人もいる。彼女たちをみていると、どうも、人のあくの強さが見えてこない。別な言葉でいうと、わがままが見えてこない。人間には、どこかで、我(エゴ)が見え隠れする場合がある。彼女たちは、いつまでも、率直である。私は、彼女たちの孤独での内面をしらない。明るくみえるのは、心の寂しさの裏返しかもしれない、しかし、人前ではそれをみせないし、見えないようにしている。それが不自然ではない。そこらへんに、何かしらの運不運の境目があるようである。
我々が入居しているビルにも、清掃会社から派遣されてくる人がいる。毎朝、その清掃の女性は、元気良く、頭を深々とさげて、おはようございますと声をかける。しっかりと気持ちよく前屈をして挨拶をする。私もそこそこ生きてきたが、ここまで、屈託のない挨拶をされたことがない。それほど、すがすがしいものである。私は、その女性をある意味人として尊敬している。そして、その女性が、人の見ていないところでも、手を抜かず、しっかりと清掃していることをしっている。その女性がどのような人生を歩んできたのかわからない、ただ、そのすがすがしさは、あきらかに私の気持ちを穏やかにする。
美粒のオフィスにて、デビュー直前のあまゆーずの二人
左、あーやん(寺内章華(あやか)さん)
右、ゆーみん(濱田由美子さん)
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