整理の時代、整理整頓への価値観が経済を新たに動かす。
人は、自分だけは大丈夫と考える。だから、暴飲暴食、喫煙を繰り返す。常に、自分だけはと考える。しかし、新聞をみれば、誰かが、毎日、何かの理由で自らの意思とは関らず死んでいる。ジョギング中に落雷にあって死亡した人もいた。だれが、ジョギングに出た後、落雷で死亡することを予見できたであろうか。道を歩いていたら、上から人が落ちてきた。巻き添えになって死亡した人もいた。何気なく、散歩にでて、通り魔に刺されて死亡した人もいた。ジョギングすることも、ビルの下を歩くことも、繁華街をあるくことも、誰もが行っていることである。明日、自分がそうならないとも限らない。そう、人は、目の前に何かが起きなければ、何も分からないものである。外部から危険を感じないかがり、従来のやり方など変えることはできないのである。
経済も同じである。需要と供給の上の仮想ゲームが、今の経済である。買い手がいる。買い手にお金がある。多くの人が、それに価値があると思っているから、その価値が決まる。それが、相場である。一ドルが100円ぐらいだろうと、思えば、100円であるし、90円であると考えれば、90円である。それを決めるのは、色々なことを言う人もいるが、多くの人が、100円ぐらいが妥当だと思うから、100円になる。ガソリンの価格もそうである。
多くの人が、世の中は右肩上がりで、作れば作るほど、物はうれて、豊かになると考えていた。だから、どんどん作ればいい、車も作れば売れる。なぜ売れるのか、使っている車をスクラップにするからである。作っては、こわしてゴミにして、そして、新たにつくる。携帯やパソコンもそうであった。新しい携帯電話がでる。古いのはすてる。古い携帯電話で、山ができる。そう、今までの経済はそうであった。そういう価値観があったからである。だれだって、一年前よりも、いい携帯電話があれば、そちらが安ければ、買い換えるのは当然である。なぜなら、経済成長するには、物を作らなければならないからである。そういう価値観で支配されていたからである。多くの人が、そうであると信じたからである。それが、経済を動かしていた価値観である。
それが、何故、破綻したか、その膨張型市場経済が破綻したのは、その右肩上がりの膨張が幻想であると気づいたからである。なぜなら、地球が有限だからである。そして、その膨張型の経済に抑圧をかけたのが、地球温暖化である。だんだんとしのびよる温暖化の恐怖が、多くの人に、今までのやり方は間違っていると気づかせたのである。外部から多くの人に危険を教えたからである。
ゴミ屋敷と一緒である。作ってはこわして新たに作る。壊したものは、ゴミとなる。ゴミを綺麗にもどすにも、コストがかかる。だれも、そんなものにお金を掛けたくはない。ペットボトルの飲料が100円です。今日から、150円に値上げします。なぜなら、その50円が、リサイクル代だからです。むかしなら、そんな飲料を買わなかった。今でも、捨てるのに、お金を払うのに抵抗をもつ人が多くいるのも事実である。なぜ、それが、今は可能になったか、エコロジーと何故、言うようになったかは、地球温暖化があるからである。それをしなかったら、人類が、総崩れになるからである。人類がいるから、お金が必要になり、経済も出てくる。ファンドの人も、人がいなくなれば、自分たちも死滅するからである。何故、核爆弾を禁止するか、使ったら、世界が終わるからである。経済も成り立たなくなるからである。
エントロピーという言葉がある。世の中は無秩序の方向へ流れるということである。整理整頓は、エントロピーとは逆で、反エントロピーの行為ということになる。学生の下宿は、普通は、滅茶苦茶になる。なぜなら、面倒くさいからである。整理整頓には、エネルギーがいるからである。地球にいるすべての人が、整理整頓をせず、そのまま無秩序にすべてを放り投げたら、一発で、地球はゴミの山となる。糞尿、食べ物の残骸、死骸、悪臭、一発で終わりになるはずである。これだけの莫大な人数の人が、この地球で暮らせるのは、整理整頓を行っているからである。
それと同じように、経済活動の場でも、温室効果ガスの排出基準をつくり、その中で、やらなければ、だめだという雰囲気が出てきたから、無駄な消費に対しては、抑圧がかかり始めたのである。経済は、止めることはできない、消費型の経済が破綻したのは、当たり前である。それが、市場経済の本質だからである。整理整頓とは、エコロジーである。食い散らかしたものを片付けるのには、エネルギーがかかる。そう、エネルギーこそ、経済活動、そのものである。だから、片付けること、温室効果ガスを中和させることも、エネルギーがいるのである。そこに、経済が動き、お金が動くのである。経済活動という幻想の場を設けなければ、人は暮らして行けない。経済活動とは、エネルギーを発生させることでもある。そこに貨幣経済が絡んで、市場が動くことになる。その根底に流れているのは、人の価値観、多くの人が共同で夢みる幻想の集合体なのである。
100年に一度の不景気は、何故起きたか、その市場原理の膨張では、地球がおわると気づいたからである。整理整頓、エコロジー型でしか、乗り越えることができない。残念ながら、これからしばらくは、ハイブリッド型の車しかうれない。エンジンの車は、うれなくなる。インサイトやプリウスだけでは、ホンダもトヨタも立ち行かなくなる。もし、バッテリーに何か不具合がでて、リコールが起きれば、ホンダもトヨタもそれでお終いである。一車種しか売れないことは、異常であり危険である。そうなれば、次々ハイブリット車がでてくる。車の整理整頓が始まり、電力やガスの整理整頓が始まり、非効率の人やシステムの整理整頓が始まる。その整理整頓にエネルギーがかかるため、それによって、経済が活性化され、市場は再び潤うことになる。そこに新たな秩序が生まれるはずである。人類が生き延びれたら、それは必ず、いい方向へと動くはずである。これからは、1か0の世界である。人類が生き延びれたら、それは秩序あるいい世界である。そうでなければ、人類は死滅しているからである。
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