美しいハーモニーをつくるには(音楽業界の閉塞感を打破するにも)
当たり前として生きていて、ふと何かの拍子に、その当たり前が当たり前と思えなくなるときがある。自分が何かに生かされていると感じる。そのとき、無性に数学が恋しくなる。数学と言うよりも、数式の論理の中に、自分を溶かしてみたくなる。一秒、一秒、時は確実に流れ、誰でも、あの世へと、いつかは、旅立つ。それは、順番でもある。先に生まれたものは、先に逝く。この世には美しいものがある。その美しいものの在り処が分かれば、あの世も数学的な美しさで満たされていると感じる。光と音、それは、数学でもある。仏像の流れる曲線も、数学的な美しさでもある。
エキセルで、協和度や不協和度をグラフ化していたら、だれでもが、知っている音楽のハーモニーについて、論じてみたくなった。それが、わかると、ギターやキーボードのコードが見えてくるし、それによって、作曲や編曲のこつまで、分かってくる。すべてが、人間がやることである。私ができることは、あなたもできるし、彼や彼女ができることは、あなたにもできるはずである。問題は、要領と勘所だけである。人間には、能力の差などない。健康でこの世で生活できれば、それで能力は十分ということである。
音楽で、重要な考え方のひとつは、協和と不協和というものである。それが、美しさの調和となっている。ピアノやオルガンのキーボードを見てほしい、白と黒の鍵盤が並んでいる。普通、ドの音を鳴らしてほしいというと、ハ長調のドをならす。なぜなら、そこから、白盤だけを順番にならせば、ドレミファソラシドになるからである。その最初のドを二回ならす。まったく、同じ音に聞こえる。高さも同じ、強さも同じようにたたけば、まったく同じ音に聞こえる。何も違和感はない。では、一オクターブ高い、ド、ドレミファソラシドの高い方のドをならす。ドは、ドと聞こえる。違いは、音の高さである。それ以外の違いはない。鍵盤をみれば、低い方のドと高い方のドには、白黒、合わせて12個の鍵盤がある。余談だが、ハ長調のレをたたいて、ミをたたいて、その次に、ハ長調のファの右横の黒の鍵盤をたたいて、その次に、ハ長調のソ、ラ、シ、とたたいて、ハ長調のドの右上の黒の鍵盤をたたいて、レと打ってもらいたい。同じように、ドレミファソラシドと聞こえたはずである。それが、ニ長調のドレミだからである。ハ長調のドレミとニ長調のドレミの音楽的な差はない、差は、音の高さだけである。半音高いだけである。
音は、波である。空気を媒介とする振動する粗密波である。太鼓をたたけば音がなるのも、太鼓の布が空気を振動させているからである。もちろん、空気がなければ、音は聞こえない。宇宙は、ほぼ真空で空気はない、だから、太陽の音は聞こえない。そのかわり、太陽からの光はこの地上に届く。音の性質を決めるのは、周波数である。ある時間(秒)に何回、振動したかである。ある音、たとえば、ラの音を、440Hzと決める。一秒間に440回振幅を繰り返している音である。一オクターブ高いラの音は、880Hzとなる、なぜ、同じ音に聞こえるか、それが、倍音だからである。880Hzの中に440Hzの音は二個、220Hzは、4個、綺麗にどこまでも収納されるからである。音の美しさはその規則性にゆだねられている。それが、協和というものである。ハーモニーの基本は、その協和、裏を返せば不協和の組み合わせにある。
ドから次のドまで、音は12分割されている。先ほどのハ長調のドレミと二長調のドレミが成り立つためには、それぞれが、同じ比率で分割されていなければならない。ある音と次の半音との周波数の比率は、すべての音に対して、約1.0594倍になっている。数式で言えば、2^(1/12)ということになる。倍音であれば、一オクターブの違いは、2^(12/12)=2、つまり、2倍ということになる。そして、重なり合うものは美しいということで、ある音とある音がどれだけ、同じ山で重なるか、その回数が多いほうが、協和度は大きいということである。一番は、同じ音、同じ周波数である。次に、同じ音で、オクターブ違いである。次は、ある音から、7半音目である。ハ長調のドからみれば、ハ長調のソである。下記に、不協和度のグラフをしめす。研究してほしい。それは、ある音からみてのグラフであり、音を特定するものではない。ハ長調のミからみれば、ハ長調のシが7半音目になる。これを利用すれば、色んなコードによる協和度も計算できる。ハ長調のドミソは、ドとミの関係、ドとソの関係、ミとソとの関係、また、一オクターブ高いドからのミの関係、ソの関係の総和にあたる。音楽は、すべてが、美しければいいのではなく、あえて、不安定をつくり、安定にもっていくものである。ドミナントのセブンスから、トニックへの進行はまさに、その筋道である。ドミナントとかセブンスとか、トニックとかは、専門な言葉なので、わからなくてもいい、専門家になるのなら、もちろん勉強したらいいはずである。感覚もいいが、ある程度、そのロジックのからくりが分かると、ぱっと、視界が開けるものである。ドミソを押さえて、次にソシレファを押さえてほしい、ものすごく、イライラするはずである。なぜなら、ドミソを最初にならしたからであり、人間の脳には、ドミソが安定だよと記憶させたからである。ソシレはGであり、それ自身、ト長調では、ドミソと同格である。ファは、ソに対して、それほど、協和する音ではない、だから、不安定になる。それと、ソシレファのシとファが、ドミソのドとミに対して、半音関係なので、不協和になる。だから、ドミソとうって、ソシレファとうって、しばらくして、ドミソと打てば、ほっとするのは、そのためである。では、ドミソのつぎに、ファラドと打ったら、すこし、あれと感じるはずである。ミとファの不協和があるからである。もちろん、そのままドミソに帰ってもいい、ファラドは、ドミソに対して、サブドミナントという関係にある。不協和が弱いから、サブである。そして、さらに、ソシレファとうてば、もっと不安定さは増してくる。ファという音で連結されるからである。そして、ドミソにかえると、ほっとする。コードでいえば、C-F―G7-Cであり、コード進行の教科書にのっている、I-Ⅳ―Ⅴ7-Ⅰという、あっぱれなコードになるからである。
下記に、ある音に半音関係のある音を重ねた波動をしめす。360度に対して、波長を10であるから、360度を一秒とすると、400Hz近辺の音であれば、360度に対して、40倍その波形が組み込まれていることになる。後は、倍音関係、ドなら一オクターブ違いのドである。それと、倍音以外に、次に協和する音、つまり、7半音上にある音である。それぞれを比べてみてほしい。それが、協和する協和しないという視覚的な差になる。赤が基本の音、緑が比較する音、青が重なった音(赤と緑を同時に鳴らしたときに聞こえる音)
今は、パソコンがあれば、何でもできる。私のパソコンに音楽作成ソフトが入っているため、何回も使っていると、楽器を鳴らさなくても、マウス操作で、音が見えてくる。ヘッドホンをつないで、自分が打った音符をならすと、その場で、音が聞こえる。何回もやっていると、そのうち、音階がわかってくる。楽器を使わなくても、音程をつかめる。各チャンネルに、コードや音階やドラムやパーカッションのリズムを重ねると、アレンジのコツまで見えてくる。音楽作成ソフトは、正しく、CADソフトと同じく、使いこなせばこなすほど、自分の技術が磨かれるものである。幼少時から、ピアノやバイオリンやギターを慣れ親しんでいれば、音楽的な感はあるかもしれない。しかし、普通の人はやったとしても、お茶を濁した程度である。初心者レベルのはずである。ある程度のからくりをしり、音楽作成ソフトに慣れ親しむと、だれでもが、ある程度の作曲家になれる。特に、俳句や和歌が好きであれば、その定形された文字に、音をつけて、歌えば、だれでもが、シンガーソングライターになれる時代である。今でも、カルチャーセンターでは小説の作り方の講座がある。普通の主婦が、それを学んで、小説を書いて、芥川賞をとった人もいた。それと同じように、普通の主婦が、パソコンを使って、曲をつくっても、売れる時代が来たような気がする。もちろん、それでご飯を食べられるとは思わないが、一生の思い出にはなるはずである。
人前で歌を歌おうなどと普通は思わない。しかし、リスナーの側に、ものすごい才能をもった人がいるのも事実である。その自分の才能に気づかないで一生を終わるのももったいない話しである。音楽がパソコンを通して、もっと一般的に普及していけば、眠っていた才能を引き出すこともできるはずである。そうなれば、そこに、専門的な知識への需要がおきる。音楽をやっても、それで、ご飯がだべれるようになるはずである。今の音楽の業界は、あまりの閉鎖型格差社会である。音楽をやっていては、ご飯が食べれない状態である。大学で音楽を学んでも、専門的な職がなく、まったく関係のない職種に付く人がたくさんいる。音楽を一般的に普及させるには、音楽作成ソフトの使い方を広めることが早いと感じる。それにより、音楽を作る方向に対しての需要がでてくるはずである。そうすれば、業界の閉塞感はなくなるはずである。
カテゴリ
音楽トラックバック(0)
このブログ記事を参照しているブログ一覧: 美しいハーモニーをつくるには(音楽業界の閉塞感を打破するにも)
このブログ記事に対するトラックバックURL: http://www.memoriaaquae.com/mt_appli/mt-tb.cgi/5

