核廃絶と核の平和利用、広島被爆者の天の声、アメリカのCHANGE

 高圧を流体にかける。その力を利用して、その流体の中に混ぜた粒子(固体、脂等)を微粒化させること、特に装置面の開発に長年私は従事している。この高圧を利用して、微粒化するというものは、アメリカから来たものである。1000kg/cm2、2000kg/cm2(今はSI単位で、Mpaだが、キロの方が感覚的に分かりやすいので、キロにする)の力である。アメリカの発想は、力には力をかけろというものである。ホースを絞って、水を勢い良く壁にぶつける。水は飛沫になって飛び散る。水が飛沫になっているので、もしその中に粒子を入れたら、粒子も細かくなると考える。実際はそうなる。基本発想は、そうであった。その水の勢いは、水の圧力に依存する。だから、その圧力を1000kg/cs2, 2000kg/cm2に高めてきた。単純な手法である。そこに、乱れが発生する事までは、気づく。専門用語だが、キャビテーションが激しく発生するとまで理解する。それはエントロピーの増大の方向、乱雑な方向へいくと納得する。その後である。その何が悪いのかが、分からない。それが固定概念のように、支配している。だれも、改造しない。日本のメーカーも、アメリカ崇拝であるため、そこには、原理的な特許がないので、コピーを繰り返す。いまでも、そうである。しかし、やり方により、制御できるのである。

 

 乱れは制御されなければならない。力をかける、エネルギーベースを上げる。水の温度を上げるのと同じである。温度をあげると、沸騰する。そのぼこぼこ感、無秩序に沸騰する姿、ホースの水を勢い良く、壁にぶつけて、無秩序に飛び散る姿、ガラスを硬い面に、勢い良くぶつけて、無秩序に、割れる姿、それが、乱れの視覚的な姿である。それをやり続けたら、滅茶苦茶になる。つまり温度を上げ続けたら、どうなるか、すべてが、火の玉状態になる。つまり、あの日の815分の爆心地、広島の状態なのである。おもちゃの火薬、花火程度であれば、かわいい、その一気に開放するエネルギーを今のところ最大限にして、実際の都市に最初に使用したのが、広島に落とした原子爆弾なのである。

 

 アメリカの民生品、医薬品、健康食品、化粧品、化学品も、エコロジーや無溶剤の必要性に気づきだした。やっと、自分たちの方法論、アプローチのやり方がおかしいことに気づきだした。なぜなら、温暖化により、エネルギーをセーブしなければならなくなったからである。滅茶苦茶に壊す。機械の部品が壊れたら、付け替えたらいい、高い圧力や力で、滅茶苦茶にしてこわせ、当然に、不ぞろいのものができる。細かいものが必要なら、それを分級して、取り出せばいい。エネルギーをたくさんつかい、非効率も、関係なく生産できればいいと言う考え方である。広大な面積、何をやっても平気な国土でもある。それで今まで、勝ってきた。

 

 そして、その結果、アメリカの金融が破綻した。無秩序に規制もなく個々を作用させれば、必ず、勝ち負けが決まる。勝ち組は次の勝ち組とで作用する。それを繰り返せば、かならず巨大な格差が生じる。そして、愚かにも、一人勝ちしたために、購買層がいなくなった。供給はあっても、需要がなくなった。これが格差社会の成れの果てである。当然に崩壊する。そのあおりで、GMも破綻した。そしてオバマ大統領が誕生し、核廃絶を訴えた。

 

 私は学生時代、故福永武彦さんの「死の島」を何回も読んだ。ある意味、故井伏鱒二さんの「黒い雨」よりも衝撃的な小説であった。ずっと、広島は心の中にあった。いまでも、私の中では、広島は、福永さんの「しのしま」なのである。核の乱れは、原子爆弾である。一気に開放するからでる。キャビテーションと同じである。その力を制御して、熱として取り出して、タービンを回すのが、原子力発電である。原爆としてつかうのも、原子力発電として使うのも、人間の心なのである。性善説をとれば、人間は必ず、その乱れを制御することができると考える。しかし性悪説としてみれば、どこかで、欲望のために、核抑止力という方便をつかい、使わなくても作り続けるだろう。そして、何かの拍子に、核弾頭ミサイルが発射されれば、地球はそのとき終わりである。そのとき、地球は、美しい美粒は、死の星、になるはずである。

 

 広島で被爆さえてなくなられた人はどう思うだろうか、広島ではなく、沖縄や本土でも、愚かな戦争の犠牲でなくなられた人はどう思うだろうか、若い学生が特攻として散華して日本を守るために死んでいった人はどう思うだろうか。乱れは抑止できなかったから、戦争が起きた。軍部の暴走を抑止できなかったから戦争が起きたのである。人口が増加していけば、それぞれの国家の利権が対立する。北朝鮮のような独裁国家が生まれないとは限らない。

 

 核廃絶である。そして、いつか、核転用が可能な原子力施設も廃止するほうがいい。北朝鮮をみれば良く分かる。いずれ、太陽光発電やそれに類似したエコの発電が開発されるはずである。ナノテクノロジーが作り出すはずである。そして、その効率化がアップし、N数が増えれば、トータル発電量が原子力発電を上回る可能性はある。それが、経済の発展にもつながる。社会が飽和したら、経済はストップする。これからは、軍事で金をまわすのではなく、エコロジーで金を回す時代だからである。100年後、200年後、500年後、この地球が死の星にならないように、広島が、再び、死の島にならないように、しなければいけない。それにより、今を生きる人にも金が回るはずである。エコロジーを推進すれば、必ず、需要がうまれる。温暖化阻止を義務化すれば、必ず、新しい市場がうまれ、より大きくなる。エコロジー規模は、少なくとも今の化石燃料規模以上でなければならない。地球をまもるため、今後莫大な資金が動くはずである。それが経済を支えるはずである。今は過渡期と準備期、今の世情はそれを待つだけの余裕がない。V字回復するかしないかは、旧態の技術や組織や考え方を守る人の抵抗ぐあいである。

 

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このページは、中野満が2009年6月23日 12:01に書いたブログ記事です。

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