看護師(看護婦さん)は、看護、おくりびと、僧侶の仕事をしている大変な人です。

 ネットで、滋賀県立成人病センターで行ったアンケートの結果をみた。とても人事ではないという数字が現れている。「ベテランの看護師さんの離職が病院の全体の質の低下と非効率な看護業務の見直しの改善が急務」と結果を締めくくっている。病院にいけば、そこには、医師と看護師さんがいる。入院すれば、24時間の看護体制がある。患者はそれを当たり前とみる。病気で入っているのであるから、甘えもある。患者は、看護師(看護婦さん)の心の裏側など、誰も考えない。ある意味、当たり前である。一番、考えるのは、自分の体であり、考慮すべきは、いかに、健康を回復し、社会復帰するかである。医師も看護婦もそれをサポートするのが、彼ら、彼女たちの仕事であると考える。

 

 この調査は、実に面白い試みをしていると感心している。平均的な日本人労働者の仕事ストレスを1.0とした場合の各職種ごとのストレス具合を数値化させ、比較させているのである。それにどのくらいの妥当性があるかどうかはわからないが、直感的にはあたっていると感じる。看護師が1.55、看護助手1.41、薬剤師、1.28、医師は1.09.事務職は0.89、昇進して、責任者の立場にたつ36歳以上の看護師のストレス指数が、1.70と跳ね上がるのは、相当なストレスとプレッシャーが彼女たちに襲い掛かっていると判断できる。

 

 これは、あくまで、客観的な業務での指数であり、そこに、心理的なプレッシャー、数値化では定量できない、人間としての心の指標が加わっていない。少子高齢化、最終的に、社会の矛盾、人間の矛盾、世の中の矛盾は、人の死の前後に現れる。ある意味、これからは、どのような死に方を迎えられるかが、一つの幸福感になるはずである。それが、少子高齢化の人間の避けては通れない運命であるように感じる。だから、私も逃げないで論じることにする。

 

 誰でも、病気などなりたくない。しかし、人間には老化曲線がある。永遠に生きることは出来ず、どこかで、命を停止する。社会が、核家族化になり、格差の分布がある程度の広がりをもつ社会になっている。人々は地域に根付くことなく、開発、開発で、村や町を追われ、故郷を捨てた。現代の資本主義体制のもと、転勤で、ところ払いが当たり前になっている。自民党政権が崩壊するのは、それが、過飽和して、その今まで目をつぶってきた問題が一気に噴出してきたからである。温暖化もそうであるし、地域医療、地域ネットワーク、コミュニティ、過去何百年受け継がれてきた文化が根こそぎひっくりかえったのである。時間は不可逆性なので、昔にはもどらない。だから、人間として、どうしても守らなければならない、命の尊厳を誰かが拾ってあげなくてはならないことになる。そう、今の核家族化の世代である。市町村も予算がない。身寄りがいればいい、しかし、これからは、老人が寄り高齢の老人を介護する時代がくる。蟻とキリギリスではないが、若いときに甘い汁をすっていたつけが、最後にやってくる。それは日本全体の問題になってきている。

 一番の理想は、死ぬ寸前まで、元気でいることである。そして、何も苦しまず、何も考えず、ぽっくり逝くことである。自分が死んだ後など、自分では分からない。社会が、人の死の最低の尊厳を守ってくれるのなら、身寄りがなくても、どこかに、無縁仏として、自分を埋没してくれることを希望するだけである。冷たくなった自分の死体を犬と猫と同じように、作業車につまれ、焼却場で焼かれるのだけは、勘弁してほしいと願うだけである。

 

 将来は、どうなるかわからないが、今現在は、病院に連れて行かれる。元気になって、一階正面玄関から、出て行く人もいれば、人知れず、地下から冷たくなって運ばれることもある。問題は、人はどこで、なくなるかである。家族に見守られ、畳に上で大往生できる人はラッキーだろう。大抵の人は、ベッドに縛り付けられ、病院の一室で、見守られる家族がいればいいが、将来はきっと、看護師にみまもられて、一人黄泉へおちていくことになるはずである。そう、人がこの世からあの世へ行く間、そばにいてくれるのは、看護師(看護婦)なのである。人の死を、人の尊厳を見守ってくれるのは、看護師なのである。この世での最後の会話も、きっと看護師であり、あの世に送り出してくれるのも、看護師なのである。その間は一時間かもしれない。その一時間を、共有してくれるのが、看護師なのである。看護、おくりびと、そして、精神的な供養、をしてくれるのが、看護師なのである。

 

 人の死を受け止めるのは、よほどの精神力がなければ、やっていけない。この激務にたえれるだけの精神力があればいい、しかし、それが、連日連日と重なれば、心優しい、看護師は離職していくことになる。人の死は、平等に、必ずおとづれる。少子高齢化、核家族化、ふるさともなく、多くの人が、団地の一室のたんすの上が、あの世との架橋となる。ひとりなら、それさえもない。自分がこの世に生きていたことを示す証もない。人の死を最後に見てくれるのは、看護師、待遇を改善できなければ、人の死は、機械的に処理されるだけである。あばれる患者を力づくでしばりつけるのも、一つのやりかた、優しく、いたわりながら、痛まないように、固定するのも、一つのやりかた、それは看護師の気分でも変わるはずである。ストレスで満ちて、患者にやつあたりしても、しかたがないかもしれない。最後の最後に、心優しい看護婦さんとめぐりあい、その人に最後をみてもらえたら、いいとだれでもが思うはずである。少子高齢化、子供に看取ってもらえることもなく、さりとて、伴侶が先にいっていたら、孤独死がまっているだけである。いまはいい、しかし、間違いなく、次の世代からは、これがあたりまえになる。これからの多くの日本人の定めだとなる。最後の看護、おくりびと、そして供養、それをしてくれるのは、看護師でしかない。国を挙げて、支援してほしい。

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このページは、中野満が2009年7月17日 13:54に書いたブログ記事です。

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