女優の大原麗子さんの寂しい孤独死
飯島愛さんが、孤独死でなくなったという以上に、大原麗子さんの訃報は、テレビや映画でその愛くるしさを知っている世代からみれば、人生の侘しさ以上のものを我々に与えた。特に、亡き石立鉄男さんとの競演「気まぐれ天使」では、これから、大人の扉をあけて、長い人生を前進していかなければならない青年の心に、どれだけの情感を植えつけたか、図りきれないところがあった。その延長線上に、サントリーの広告部が、大原麗子さんに、「すこし愛して、ながーく愛して」と人生の寂しさの中にも、すこしの愛があれば、それも人生だと、言わせるような演出をかけてきたのである。それだけ、日本的な寂しさを瞳の奥にしみこませながら、それを情感で訴えられた稀有な女優であった。
それを押し隠すような甘い声で、話されたら、誰でも、大原麗子さんの魅惑に酔ったことだろう。好感度NO.1のタレントに何度も選ばれるのもうなづける。しかし、人生とは、ある意味、残酷なものである。渡瀬恒彦さんと森進一さんとの結婚と離婚、それも、しかたがないこと。相手にも相手の自我が存在する。自分が神様のように、相手の心を支配することなどできない。この場合、やはり、月並みな言葉が、出てくる。美人薄命である。やはり、最後まで、大原麗子さんは、どこかで、女優としての意地があったのかもしれない。それが、女優としては、若すぎる62歳という年齢で、人生を終わらせたのかもしれない。なくなってみれば、あっけない。あまりにも人生というものが、あっけなさ過ぎるような気がする。やはり、その要因が、あまり聞きなれない病名だが、「ギラン・バレー症候群」というものらしい。運動神経に作用して、その筋肉運動を麻痺させるものらしい。約10年ほどまえから、発病して、それから、芸能活動を自粛していたとのことである。10年ぐらいまえであれば、大原麗子さんが、52歳前後、丁度、その近辺から、人の、老化曲線が、上昇してくる。彼女の出演年表をみれば、NHK大河ドラマの徳川慶喜で、ナレーター役とおれんさん役として活躍した後と符号する。
大原麗子さんも、女優として、がんばらなければならないとどこかで、空回りしたのだろうか、それが、あせりとなり、無理をして、彼女の一番弱い部位を襲ったのかもしれない。ギラン・バレー症候群は、本来自分を守るためにある自己免疫システムにトラブルが発生し、本来攻撃してはいけない、自分の神経を攻撃してしまう、自己免疫疾患だと言われている。自分で自分を壊してしまうのである。それは、心因性が起因している。心が寂しかったのであろうか。誰か、そばにいてあげて、話を聞いてあげるだけでもよかったかもしれない。筋肉の神経細胞に、かかる力を分散させてあげれば、いつしか自然治癒が働いて、治った可能性があったのである。残念だが、死者を蘇らせるだけの力をもつひとは、この世にはいない。
2週間、孤独の中で、中空を彷徨い続けていた。もし、そばに誰かがいてあげれば、その異変が生じたときに、すぐに病院に搬送されれば、助かったかもしれない。女優、大原麗子さんにとっては、62歳は、あまりにも若すぎる年齢である。これから、核家族化、少子化、シングル化、高齢者で一人で住むケースが多くなる。日本的な女優が、いちばん、日本的ではない状況でなくなった。どこかで、ブレーキをかけ、方向をかえないと、日本人全体が、本当に寂しい人生の末路を迎えそうな予感がする。
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