微小変化型ネフローゼ症候群

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 ここ数ヶ月、ブログを停止していた。そうしたら、偶然、今日、仕入れ先に、仕事の関係で問い合わせをしたら、ブログをみてますよといわれた。なぜ、最近、書いていないのですかと質問された。何かあったのかと心配してましたよといわれた。そういう見方をしているひとがいるのかと、思った。実は逆だったのである。6月の中旬から8月中旬まで、私は、ネフローゼに罹り、入院をしていたのである。入院中に、何かあっては、対外的に困ると思い、ブログを書き、退院してから、色々とやらなければならないことが重なり、あえて、ブログをとめていたのである。

 

 私の病名は、微小変化型ネフローゼ症候群である。これで、4度目の再発である。この表題を微小変化型ネフローゼ症候群にしたのは、できるだけ、検索にひっかかり、いまでも同じ病気で苦しんでいる人の目にこれがひっかかり、これを読んでもらいたいとおもったからである。そして、その人たちに生きる勇気をあたえたかったからである。

 

 私が最初にネフローゼに罹ったのが、15歳のときである。それから、17歳、21歳と立て続けに、再発を繰り返した。そのために、人よりも、社会にでるのが、なんやかんやで、4年もおくれてしまった。その当時も、今でも、副腎皮質ホルモン剤しか、治る方法論がない病気である。当時、おなじステロイド投与されていた白血病患者、同じ年齢で仲のよかった、筋ジストロフィーの患者、一緒に入院していた人たちは、もう、だれもこの世には生きてはいない。ステロイドは、今でも主として難病に対しての特効薬だからである。だから、副作用も他の薬に比べると相当きついものがある。

 

 なぜか、私は、21歳から、53歳まで、32年間、ネフローゼを再発もすることもなく、いままで生きてこれた。今回もたまたま、尿たんぱくが陽性+3がでていただけで、血中のアルブミンの低下もむくみもなかった。ネフローゼの症状が出る以前だったのだろう、入院した病院の担当医者もこれはネフローゼとは違うと考えていた。しかし、私には、昔の記憶があった。もともと腎生検での検査入院が目的だった。予定通り、腎生検をおこなった。綺麗な腎臓であった。そして、その後、ネフローゼの兆候が現れた。検査から治療へと入院目的がかわった。昔とことなり、多量のステロイドを点滴で3日間投与された。ステロイドパルスという治療方法である。その後、プレドニンを一日50mmg投与された。私の場合、陽性+4まででていたのが、それで、2週間で陰性になった。医者はいった。32年間目の再発など、非常に珍しいケースで、しかも、腎生検でみても、綺麗な腎臓である。ステロイドが有効にきく、微小変化型のネフローゼである。私は、今回も助けられたと本当に思った。

 

 たしかに、学歴よりも病歴の方が自慢になるが、21歳から、いろいろなハンディに打ち勝って、何とか人並みに生活できている。波乱万丈であったが、今後も波乱万丈を繰り返せと神はいっているようである。

 

 入院中、やはり病気に関する情報がほしくなった。ネットで、ネフローゼをひいてみた。辛い記事をみつけた。「私は、21歳です。ネフローゼ症候群を患って、再発を繰り返しています。私は将来が不安です。このまま、生きていられるのか、とても不安に感じています」この文書をネットでみたとき、私は、昔の自分を見ているようだった。私も同じだよといってあげたかった。まっすぐ、生きていたら、なんとでもなる。病気にめげず、がんばればなんとかなると、本当に言ってあげたかった。入院中、風呂場で腎臓病をわずらっている人と一緒になるケースが多々あった。病気で入院する人である。それぞれ、辛い病歴と過去がある。それをひとりひとり私は聞いていった。失礼だとおもったが、相手の孤独がわかったから、こちらから話かけた。私は、蛋白がとまれば、いずれは正常にもどることを確信していた。しかし、その多くの腎臓病の人たちは、尿たんぱくは陽性のままで、近い将来、腎機能が低下し、ほとんどの人が透析を受ける運命の人だった。私に、一人の若い腎臓病患者が問いかけてきた、子供が8歳と6歳いるそうである。がんばらなければいけないですよねと、私は、当然ですというのが、精一杯だった。それ以上、何もいえなかった。

 

 入院していた病院には、小児科病棟があり、そこに院内学級があった。院内学級とは、学校教育法でいう障害児の中の病弱児にあたる子供たちが、入院中、教育を受ける権利を提供される教室のことをいうそうである。慢性疾患で、半年以上の長期入院が必要な子供たちが対象である。私は、病気で、学校には行けなかった。中学と高校と留年を繰り返した。多情多感な年齢である。友達から取り残される寂しさがどれほどのものか、十分に味わってきた。だから、院内学級があれば、どれだけいいかと思ってきた。しかし、それをみるのもつらいものがある。子供や青年はやはり病院にいるべきではない。元気で外で遊んで活動するのが良いに決まっている。いまは、自分の病気や事業を平滑化するのに精一杯だが、そのうち、その子供たちのために、何かできればいいと本気で思っている。

 

 今、現在、プレド二ンを20mmgのんでいる。4週間に、5mmg前後の減少率で落としていっている。いずれは、0になる。副作用が徐々にきている。しかし、徐々に落としていっているので、少しは楽になっている。ある意味、体は、半年まえを覚えている。十キロを一時間弱で走り抜けていた体であった。老化曲線上でおちていく体に逆らって、無理をした結果再発したのかもしれない。しかし、逆にいえば、体を鍛えていたから、この程度で踏みとどまったともいえなくはない。医者から、マスクはしろといわれている。プレドニン(ステロイド)で、自己免疫力が低下しているからである。

 

 私には、たいした学歴もない。資産家の家でもない。すべては、自分の才覚だけでここまでやってきた。自分を支えたのは、病歴である。そして、病気を通してはぐくまれた感受性だけである。自分で新たな原理装置の国際特許を取得した。会社も設立した。音楽もやって、シンガーソングライターの真似事までした。今では、CADで自分が開発した装置の製図化までしているし、これからは、PLCをつかって、シーケンスプログラムまでやろうとしている。

 

 そう、生きていたら、何でも出来る。今は、底なしに暗いと感じているだろうが、明日を信じて、がんばって、治ると信じれば、病気は必ず治るものである。そう、私にできることは、こんな私でもがんばれば、今日よりもっと大きくなれるということを若者に実証してみせてあげることである。だから、がんばるのである。それ以外には今はもうない。

 

 私は死を見続けてきた。神とは、森羅万象の力の働きだと感じている。生きることは、その力と相互作用することだと感じている。いずれは、その森羅万象に還元されると思っている。それでいいとおもっている。しかし、いまは、生きれるところまで生きてみようと思っている。死がきたら、それまでだと思っている。がんばれるまでがんばってそれで死がきたら、それでよしと思っている。この世には、なぜかエネルギーがある。力の作用がある。その目に見えない力線上に相互作用しているのが、私でもある。だから、それが、乱れれば、私も乱れ、私の内部が乱れたら、その力線も相互作用的に乱れる。それが私が作り上げた装置の原理でもある。乱れの制御である。病気も同じだと考えている。

 

 ネフローゼ症候群や腎臓病や他の病気で苦しんでいる人が、この微小変化型ネフローゼ症候群のキーワードで、このブログの文章に気づいてくれることを願うだけである。私でもここまでこれた。若い人なら私以上に大きくなる可能性は十分にあると信じてがんばってほしいと願うだけである。もし、ステロイドがなければ、私は15歳で死んでいた。そして、今回もステロイドで命が継続されたようである。助けられた命である。生きれるまでがんばるつもりである。こういう人もいる。だから、21歳のネフローゼ症候群に苦しんでいる青年に伝えたい。がんばれ、あきらめるなと。本気でそう思ったから、このブログを、嘘偽らずに書いたのである。

 

 

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このページは、中野満が2009年10月15日 22:41に書いたブログ記事です。

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