海外製のPLCを搭載した装置をガラクタといった日本人がいた。

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 装置を動かすには、制御が必要である。機械を知らない人は、PLC(プログラマブルコントローラー)という言葉もしらないかもしれない。機械(装置)を扱う人にとっては、シーケンスプログラムを書いて、それで、自動化制御をかけるのが、どれほどの意味をもつか十分にわかる。たとえ、ハードが立派でも、それを動かす制御系がなければ話にならない。ボーイング777も、制御系がなければ、単なる箱でしかならない。制御系がおかしくなれば、もちろん、飛行機は飛ばない。何かしらの原因で、突然、制御系がおかしくなったら、飛行機はガラクタである。滅茶苦茶になれば、落ちてしまう。

 

 装置も、ハードとソフトがある。コンピューターも、ソフトがなければ、単なる邪魔な箱である。まさしく、ガラクタである。もちろん、ソフトがあっても、それを動かすハードがなければ、それも意味がない。不即不離の関係にある。最近の装置は、ほとんどが、自動機である。複雑な動きをさせる。単純なものであれば、もはや中国製のものでも十分である。トヨタがなぜ頭が痛いのかは、EV車は、部品点数がすくなく、単純な組み合わせで動くからである。モーターの力ではない。バッテリーの効率が向上したから、充電の効率がアップしたから、大容量が可能になったから、EV車ができるのである。それも微粒化の技術なのである。部品点数が多ければ、それぞれの部品のかみ合わせにすこしづつノーハウがある。それが多ければ、それだけ、不確定なところが増えてくる。誤差がうまれる率がふえる。だから、トヨタと同じ車は、なかなかつくれない。しかし、EV車なら、どこでもつくれるのである。単純だからである。

 

 どうも、日本人は、天狗になったようである。昔のハングリーな精神を忘れてしまった。技術に対しての謙虚さがなくなってしまった。自分たちの技術が最高であり、自分たちの作るソフトが最高とうぬぼれてしまった。本当の技術力というのは、応用力でもある。そこに謙虚さがなければ、話にならない。海外製の装置があった。複雑な制御をしていた。PLCを複数ならべ、それをパソコンから制御をかけていた。PLCとタッチバネルとの組み合わせに近いものである。PLCは欧米のもので、STLというパソコンの言語に近いものでかかれてあった。それを解読できる日本人はそれほどいない。日本であれば、各PLCメーカーが専用ソフトをもっており、それをユーザーに高く売りつけ、それで、ラダーというプログラムを書かせ、装置を走らせている。

 

 確かに、そのPLCのプログラムに何かがあれば、それでお終いである。高いお金を支払って、来て直してもらわなければならない。もし、その技術者やその会社がなくなれば、それを直すことは不可能になる。そういう状況をみて、ある制御が分かる日本人は、その装置をガラクタだといったのである。本来であれば、「ハードを解読すれば、それぞれの制御系の入出力信号がわかるはずであるから、それを日本製のPLCに入れ込んでそれにあうラダーに作り変えれば、問題はありません。ただ、お金がかかりますけど、がらくたにはなりません」というべきなのである。もちろん、一から作り直すのと同じであるから、そのハードの細かい原理や運転状況、特性なども、十分考慮して熟知していなければならないのは当たり前である。

 日本のスタンダードが、世界のスタンダードではない。それぞれが、それぞれの言語と文化が地動説のように、自分たちがベストだと思いたがる。今、日本で使っている自動機をヨーロッパにもっていっても、仮に中国にもっていっても、だれも、それをガラクタだとはいわない。日本語で書かれても、日本のソフトで書かれていても、そこに、三菱やオムロンのPLCが搭載されていたら、誰も文句は言わない。もし、何か不具合があったり、改良したい点があれば、中国であれば、中国製のPLCを探してきて、一生懸命に努力して、その装置の原理や動き等を研究して、たとえ、壊れたとしても、絶対にがらくたにはさせないはずである。むかし、日本人もそうしたはずである。

 

 中国はなぜのびるか、それは、ハングリー精神があるからである。海外のPLCで動く自動機があっても、それを完全に復元できる力がある。国産の制御系で補おうとするからである。機械の原理を理解し、ハードを細部まで吟味し、それをCAD化する。そして、それを分かった人間が、機械の動きをみつめて、自分のイメージでPLCのプログラムを作り直すからである。かつての、貧しい日本人と同じことを繰り返すからである。今の日本人は豊かになりすぎて、ハングリー精神をわすれてしまった。ハードはハード、制御は制御と完全に分業化してしまい、それがあたりまえになってしまった。だから、二人で一つの仕事しかできなくなってしまった。中国に勝てるわけがない。一人で何でもしなければいけない中国人と分業が当たり前で、しかも、豊かさにならされた日本人とどちらが勝つか、自明の理である。

 

 原点に立ち返るべきである。ハードもソフトも不即不離である。どちらもできなければ話にならない。ハード設計は、プログラム設計の補填であり、プログラム設計は、ハード設計の補填である。今、問われているのは、技術に対して謙虚さを失った日本人の精神なのである。ガラクタといった本人がガラクタになっていることに気づかなくなったその高慢さこそが、日本の技術力を根底から崩しているのである。松下幸之助さんも、本田宗一郎さんにしても、技術で日本を復興させた人の精神には、つねに、技術に対しての謙虚さがあった。ぜったいに、ガラクタだとはいわなかった。きっと、あの世から、今の日本の技術に対して、松下幸之助さんも、本田宗一郎さんもきっと嘆いていることだと感じる。

 

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このページは、中野満が2009年11月11日 22:15に書いたブログ記事です。

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