右脳を刺激するならギターをやったほうがいい。
ぼけないためには、ギターをやったほうがいいと、かつてブログでかいたことがある。あれから、暇なときは、ギターを鳴らしている。この歳でも、左指先が硬くなってきている。人間とは不思議なものである。ツメの先を保護するように、その先端が盛り上がってきている。金属弦を押さえても、痛くならないようになってくる。あきらかに、左指先と右指先では、左の方がごつくなってきている。まるで、左利きかのような按配である。
素人の私があえて言わなくても、大脳生理学者は、右脳を刺激するなら、左手をつかえと常時言っている。私もすこし人生を相対的に長く経験しているので、ギターほど、それにぴったりとするものはないと思っている。最初は、エキストラライトという弦をつかっていた。一番細いだけ、押さえやすい。それで、なんとか、バレーコードも引けるようになった。そうすると、バレーコードが、なぜ、うまくいかないのか、考えた。やはり、指先がキチンとそれぞれの弦を押さえられないからだと、察した。確かに、若いお嬢ちゃんも、あんちゃんも、ある程度、ジャンジャカならしている。自分ができないはずがないと、考えて、ここ一ヶ月間やりとおした。驚いたことに、この歳でも、ある程度、弾けるようになった。Fのようなバレーコードも、カボタストを1フレットに押さえ込んで、2フレット、3フレットを押さえれば、美しいF(ファ、ラ、ド)が響き渡る。カポタストを外すと、出てこない。それは、自分の指先の力がたりないか、均一に抑えられていないかのどちらかである。しかし、力がたりないことはない、なぜなら、お嬢ちゃんでも鳴らせるからである。均一に押さえられていないのは、左のひとさし指の側面が、弦に対して慣れていないからであると悟った。これは、今日言って、明日できるものではない。練習して、弦に対して自分の指先が反応して強くなるしかないと思った。2-3週間目前後から、指の硬さが変わってきた。そうすると、バレーコードがある程度綺麗に響くようになった。もちろん、定常的にはないが、それは練習時間に比例するはずである。
ギターの教本を覗いてみたらいい、コードを押さえ、綺麗に音が響いて、自分がすきなリズムで、コードチェンジをしながら、爪弾いてお終いである。DVDもある。それをみても、特に、何も書いてない。別に、音楽理論やコード理論や不協和曲線など、必要もない。ジャカジャカならしていけばそれでいいといえばそれまでである。考えてみれば、これほど、廉価で面白い楽器はない。どこでも、好きなときに、コードを鳴らせばいいのである。マイナーコードを、ある規則でならせば、美しい哀愁のあるメロディがだれでも一つや二つは出てくる。誰でも、シンガーソングライターになれる。もちろん、それでお金が取れるレベルまでいくには、相当な努力がいるが、それなりの人生をあゆんで、あの世に帰る我々の世代の人間には、マイナーコードをそれなりに鳴らすだけでも、十分なことだと思う。そんな響きを味わえただけでも、ある程度、しあわせなことだと、思えることができたら、あの世へ行く準備ができたと考えてもいいはずである。
エキストラライトから、カスタムライトの弦に変えてみた。弦がすこし太くなっただけ、振幅が増えた分、ギターのボディとの共鳴が深くなった。音がさらに綺麗に響くようになった。1966年に発表された今日の日はさようならのコードがあったので、弾いてみた。思春期の頃を思い出した。ギターの振動が、忘れていた心の弦を共鳴させ、深い過去の記憶から、何かが蘇る錯覚を感じることができた。そう、それは、現実的には戻らないものだから、錯覚である。専門的なことに、なるが、メジャーダイヤトニックコードのFで書かれてあった。コード進行は、F, Gm、Am、Bb、C7、Dm、Emb5である。F, Bb, Gmは、弾きづらいバレーコードである。そのバレーコードの連発である。もちろん、それを転調して、コードGで引くと、バレーコードのない引きやすいコード進行になる。しかし、過去に記憶している音感は、Fであった。それを、ギクシャクしながら弾いていくと、過ぎ去った時間が蘇るようであった。もちろん、歌詞を口ずさみながら奏でた。まさしく、右脳を刺激し、虚数的なイメージで、頭は満たされていた。左脳のロジックは消えていた。実数、この世、言葉、論理、実数時間、現実、今、それらは、左脳が支配している。右脳は、虚数、あの世、過去や未来、イマジネーションを支配しているはずである。
いつまでも、絶えることなく、ともだちでいよう。コード進行は、F、Bb、F、Dm、Gm、C7、Fという定番なものである。しかし、それが、心に響いてくる。忘れていたはずの、忘れることでここまで生きてこれた何かを、思い出させるのである。きっと、虚数的なあの世からの風が、私の右脳とどこかで共鳴しているのかもしれない。団塊の世代が、現役を退く。私のまわりでも、若いとき、ギターをやっている人が結構いる。しかし、今は、実数的な現実に時間を追われ、ギターを鳴らすこともない。時間はあるはずである。しかし、現実の時間の矢の中で、過去を見ることは、未来をみることでもある。それは、この世からあの世へと向かうことでもある。それが、恐ろしいのか、左脳の現実に自分を縛り付けている。あの世を感じることが、恐ろしいのか、今のままでいいと感じている。発展させることもなく、ただ、流れる時間の渦の中に身をゆだね、そのまま落ちていこうとしている。そうして、多くの人は死んでいく。出来るなら、私はあの世のイメージに包まれた状態で、あの世に帰りたいと思っている。
右脳を刺激するには、ギターが最高である。そして、ゆっくりと、そのリズムに体を合わせて、気を天から感じることである。気功の気である。太極拳的な動きの中で、天から気を受け、右脳を刺激していくことである。それこそ、親鸞が考えた浄土であり、日蓮が想念した久遠の実相であり、道元が夢みた只管打座の極意であり、空海が透視した曼荼羅の裏側である。ギターを鳴らして、右脳を励磁させていくと、あの世の感覚がすこしづつ、右脳の中に、イメージとして見えてくる。左脳で生きていたら、必ず疲れる。実数的な平面で生きていたら、パンクするはずである。あの世を夢みて生きているから、逆に、この世で、色んなことがひらめくのである。エゴが消えるから、素直に、なんでも頭に入ってくるのである。ギターは廉価なものである。霊感商法で訳のわからないものをだまされて購入するよりも、ずっと、いいし、あの世の感覚に近づけば、供養した魂に自分も守られていると感じるはずである。
カテゴリ
Generalトラックバック(0)
このブログ記事を参照しているブログ一覧: 右脳を刺激するならギターをやったほうがいい。
このブログ記事に対するトラックバックURL: http://www.memoriaaquae.com/mt_appli425/mt-tb.cgi/39

