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 介護や看護や医療の世の中で、理想の世の中は、言葉はいい言葉ではないが、ピンピンコロリが理想だという。老後はピンピンしていて、そして、コロリと苦しまずに、あの世へいく。言葉は綺麗ではないが、人は必ず死ぬ、だれでも100歳前後になれば、いなくなる。だから、朝、ピンピンしていて、夜、じゃ、これでおさらばじゃ、いい人生だった。あの世でまっているといって、目をつぶり、そのまま、ころりと旅立ちたい。人は、死ぬとき、脳内麻薬をだし、そして、DNAをきっていく。それが、最終のプログラムである。神様が創った人間への最高の最大の贈り物である。

 

 民主党が、マニュフェストを出した。命あるものとしての使命の一つとして、人は命を子孫につなげなければならない。何のための有限の命であるのか、それは、ひとつ、ひとつをリセットしながら、未来へその種の命をたすきわたすことである。十分に生きた老人には、現世での未来はない。100歳になれば、だれもいなくなる。老人に必要なのは、ある意味、あの世への架橋、夢の浮橋なのである。この世よりも、もっと美しい秩序をもった御伽噺の世界なのである。そのゆりかごの振幅にのって、しずかに、目をつぶり、この世での思い出を抱きしめて、あの世へと行きたいのである。朝まで、ぴんぴんとしていながら、老化曲線の終点にきたら、ころりと夕べには向こう側におちていきたいのである。老人がたくすのは、未来である。老人がもとめるのは、子供たちが明るく、自分たちがつないだ命を次の子供たちへとつないでくれることである。少子高齢化、核家族、受け継いでくれる子供がいなければ、自分たちの財産は、国庫に没収される。没収されて、役人の飲み食いに使われるよりは、あきらかに、子供一人ひとりの教育や生活や子育てに使われるほうがましだとだれもが考える。財源論など、詭弁である。やりもしないうちから、できないという人の意見ほど信用できないものはない。この世には、あそんで楽な人生を送る人もいれば、生活苦であえいで生きて、しまいには自殺する人もいる。その格差はあまりにおおきい。だから、その格差が感覚的にわかるから、そうとう、ピンはねしている人が多くいると思う。相当な無駄があるはずである。そうとう、中抜きして遊んでいる人たちがいるはずである。あぶりだせば、財源だとでてくる。それをしないで、財源がないといっている人たちは、やはり怪しい。

 

 高速道路無料化、これは、画期的なことである。グーグル的な発想であり、これで、地域医療や経済が大きく変わる。ある意味、戦後の高度成長の方向性が逆転する。核家族から、集団家族へもどるはずである。もし、高速道路が完全無料化になれば、トヨタ、ホンダ、日産等が、脱化石燃料車へと社運をかけて、莫大な投資を行う。それは、脱エンジン自動車であり、19世紀からのエンジンを捨てることになる。ある意味、革命につながる。エコロジー技術である。エンジニア的な思考回路をもっている人なら、これがどれだけ、経済への波及効果があるか直ぐに分かる。高速道路網に、光ファイバーが埋め込まれる。太陽光パネルが敷かれる。パーキング場に、コミュニテイセンターが生まれる。介護、看護、医療が生まれる。端末さえあれば、データーは、都市部の総合医療センターにつながる。ヘリポートも作られる。そのパーキングへは、簡単にアクセスできる。なぜなら、無料だからである。農道も国道も県道も高速道路も、一切の差別はなくなる。どのルートをとおろうと、自由である。GPSがうまく機能して、最短で目的地へ誘導する。

 

 悪気があっての発言とは思えないが、どうして、麻生首相は、言わなくてもいいこと、逆に、言ってはいけないことを、70年近くも生きてこられて、あえて言うのだろうかと、不思議に思う。武部元幹事長が、徳がない、恥じる心がないと、いったことと、連動するかもしれないが、普通は、そういうことはいわないしいえないものである。逆に言えることは、よほど、自由闊達に、放任されて生きてこられたのだと思う。やはり、その裏には、祖父吉田茂元総理、麻生財閥の御曹司という肩書きがあるからであろう。当然、いまでも、失言を繰り返している。普通であれば、内閣総理大臣という最高の地位まで上り詰めることなど不可能である。それが成り立っている以上、麻生首相の背後には、その失言さえも、消去できる大きなものが、存在しているのだろう。もちろん、麻生首相には、失言や問題発言という意識がない。あえていったのなら、大問題である。問題は、自分が置かれている立場、状況によって、自分が発する言葉がどのように、受け止められるかを分析する能力が乏しいといっているのである。日本国の首相である。これではなさけない。

 

 衆議院選挙前である。時期が時期である。民主党が世論ではリードしている。その矢先、何か言えば、それがどういうことになるかぐらいは、わかりそうなものである。限られた時間とスペースに、麻生首相の言葉が全部のることなどない。要旨が伝わるぐらいわかりそうなものである。だから、「高齢者は働くことしか才能がない、80歳を過ぎて遊びを覚えても遅い。60を過ぎて80過ぎて手習いなんて遅い」、この言葉が、一斉に独り歩きする。選挙前なら、どうでもいい、国会で、私の趣旨はこういうつもりで発言したと、弁明の機会が与えられるからである。選挙戦突入である。これで、一端、収まった反麻生派は、息をぶり返すはずである。野党は、その言葉尻を捕まえて、とんでもないことをいう自民党に、政権を担当する資格はないと、かならずいう。高齢者は、働くことしか才能がない。高齢者になって、手習いなんてしても、無駄、遅すぎるといっているのである。言葉は悪いが、この場合の労働は、単純労働である。高齢者になれば、手習いなどできないとまでいったのであるから、体を使った単純労働をしなさい。それで、お金をもらって、税金を払いなさいといったのである。

 

 麻生首相を弁明するわけではないが、たぶん、自民党や公明党は、麻生首相の言葉を正確に伝えるために、使わなくてもいい能力をこれから使うことになる。それをいわなければ、自民党、公明党は吹っ飛んでしまうからである。それほど、神経を使わなければならない問題である。それを、麻生節で、この時期にぺらぺらとはなし、他の人に迷惑を掛けること自身が大問題である。あきらかに、リーダーとしての資質を今度は、とわれかねない。内紛が勃発する。麻生首相は、下記のように、言えば、何も問題などおきなかったのである。

 

 都議選敗北以来の武部元幹事長のテレビでの発言は、あまりにいただけない。公の電波である。その前に、民主党が衆議院に提出した内閣不信任案を自民党議員、全員で否決したのである。実質的に、選挙までであるから、麻生内閣を支持したことになる。中川元幹事長も、武部元幹事長も、小泉元首相の元、汗をかいた人たちであるが、今回の反麻生を仕切る人たちは、全員、不信任案を否定したことだから、麻生内閣を支持したことになる。武部元幹事長の発言を、リアルタイムで聞いたが、あれはどうしても前置きはあったが、いただけるものではない。なんといったか、驚くべき発言をしたのである。気持ちは、わかるが、どんなに内面が乱れていようが、人には表に出してはいけない言葉がある。いくら、前置を綺麗に述べてもである。

 

 武部元幹事長は、こういったのである。「失礼な言い方になるが、麻生首相が一番問われているのは徳がないということだ。人を愛する心、謙虚な心、恥を知る心、それから、正しい判断をする心」それがないといいきったのである。徳がない、といわれても、あ、そうですね、私には、徳がないかもしれません、それで通るかもしれない。しかし、恥を知る心がないと公の電波を使われ、日本国民、いや世界の人々に発信されたのであるから、これには麻生総理は、切れるはずである。会社であれば、前日開催された株主総会で、代表取締役を選任したばかりなのに、相談役が、その社長にむかって、あなたには、徳がない、恥を知る心がない、自発的に辞表を提出し退陣しろといったのと同じである。それも、何かの破廉恥な行為を実証する法的な裏づけがあるものがあるのではなく、ただ、心情的に、ほえているだけである。見方によれば、自分の保身のためだと、誰でもがそう疑う。まず、普通は辞表をだし、それで私の意見をいわさせてもらいますなら、筋が通る。信任しておきながら、自分の保身が確保され、それで、相手に恥を知る心がないと暴言を吐いたのであるから、これは、日本人としての義が通らない。

 これが、何を意味しているか、大体、理解できる。政治家の人たちは、落ちたら、ただの人である。非常に頭のいい人たちである。一時の感情でものをいっているわけではない。両議院総会開催の署名まであつまったのであれば、署名した人は、ほぼ、確実に、自民党で戦えば、落選する可能性の高い議員である。大義名分がほしいだけである。両議院総会で、麻生おろしを主張する。執行部は、それを認めることはできない。もし、自発的に辞任してくれたら、ラッキーである。そうでなければ、きっと、離党をする。離党しても、小泉内閣のように、刺客がおくられることがないからである。時間がないからである。まとめて、離党して、新党を結成して戦えば、無所属ではない、国から、自民党と同じように政党助成金が支給される。世の中、そんなにあまくはない、しかし、自民党として、民主党と戦えば、ほぼ負けるとわかれば、すこしでも、確率を上げたいと思うのは当然である。狙うのは、比例ブロックであろう。一人区では、ほぼ、民主党や野党の大物が当選する。政治家としてのこれるのは、全体的な比例ブロック枠であろう。その場合、新党は、地方分権や、道州制といった、世論の注目を集めやすいマニュフェストを急遽作成するはずである。そうなるか、どうかは分からないが、いずれにしても、これで、自民党は崩壊である。そのあと、政界再編がまっているかもしれない。

 オセロゲームを見ているように、次々と、大物自民党の都議が民主党系の新人に敗れていく。今まで、何もせず、ただ戦後から受け継いだ既得権の胡坐の上で、あたかも政治を仕切ってきた人たちが、ばたばたと普通の人に落ちていく。それは、まさしく、派遣労働者の首切りと同じようである。費用対効果の乏しい人たち、名前と既得権と斡旋で、利益を得てきた人たちといっても同じである。これで、小泉元首相がいっていた、戦後の自民党がぶっ壊れることになる。そして、全国知事会で橋下大阪府知事や宮崎県の東国原知事が主張している道州制、地方分権が、一気に加速される。そうなれば、何千年もの間、日本を支配していた官僚制度、二重の行政の無駄遣いが、一掃されることになる、その可能性がある。そう、今回の民意の選択は、それはあきらかに、数ヵ月後に来る、衆議院選挙、この国の21世紀の仕組み、考え方、日本人のあり方を決定付けるリトマス試験紙になるはずである。しかし、大体の潮目は見えてきた。この延長線上に日本のあり方は進むことになる。日本人は、やはり、日本の風土、日本のふるさと、日本の四季、日本の祖先を選んだことになる。お金よりも、もっと大切なのは、心であり、守るべきものは、命であり、日本人がもっている精神だということである。つまり、日本の文化をまもれ、それが地球温暖化阻止につながること、老後の安心、年金、福祉、医療、日本人は、日本人の尊厳をもって、日本人として、日本の風土の中で、死んで、日本の風土の中で、再生したいと願ったのである。

 

 民意は、動いた。四年前小泉構造改革の戦略に民意はのった。構造改革なくして、成長なし、まさしく、そのとおり、規制撤廃、小泉元首相の民でできることを官でするから、無駄が生じる、まさしく、そのとおり、それが額面どおり機能して無駄が省かれれば、よかった。みんなそう信じた。しかし、実際には、官僚の二重行政はのこり、余計弊害がのこった。それと、最大な誤算は、構造改革の名前の裏で行われた、グローバル化という市場原理主義化であった。今回の民意の変化は、それが、嘘であったと見抜いたからである。四年前にいったビジョンが、実は、日本文化の崩壊、格差社会、倫理崩壊を意味することを知らなかったからである。物質の豊かさよりも、日本人は、心の豊かさをとったのである。それが、潮目が変わった民意である。それを忘れたから、自民党や公明党は、負けたのであるし、今後もそれを続けたら、党それ自身が雲散霧消するはずである。公明党の支持母体の創価学会も黙ってはいないはずである。

 

 税金が高ければ、日本の企業は海外にシフトする。市場原理主義者はそれをいう。しかし、多くのグローバル企業のトップは、親戚、一族、そろって、海外へ移住しただろうか。言葉を現地語に変えて、そして、今までの宗教、文化を一切すてて、ヨーロッパなら、キリスト教文化に、数年で洗脳できたかどうかである。その国で死んで、その国のまったく分からない会社にお金を支払って、一族の墓の管理を任せることなどできるだろうか。そう、だれもそんなことはしない。ただ、自分たちの利益を確保することだけをメインとして、国内の課税を下げたのである。それにより、富の分配は、かたより、格差社会はうまれだしたのである。そう、金持ちが優遇される社会である。それが行き過ぎたのである。

 連日、東国原知事さんの挙動が、マスコミにのる。地方分権のために、総裁になるとか、自民党の総裁選にでるとか、良く訳の分からないことをいう。地方のため、宮崎のために、中央政界にでるという。すこし、論理に無理があるようである。総裁にしてくれから、総裁選に立候補できるようにしてくれと、途中でトーンが下がった。普通、あれと思う。地方自治体の首長さんで地方分権に関して纏め上げた提案書を政党のマニュフェストに採用してくれと、東国原知事がいっても、最終的にどうなるものではない。ネットでみているが、東国原知事を、自民党の東京比例名簿一位にしようとしているとの憶測もながれている。真意はどうかわからない。

 

 ヤッフーの意識調査では、8割近くの人が、知事としてがんばってほしいという意見である。概ね、そういう意見である。もし、それを振り切って、中央政界にでたとしても、宮崎県知事の実績よりも、やはり昔の名前が恋しくなったのかと、邪推したくなるようである。世論調査でも、自民党が下野する可能性が高いし、参議院を抑えている民主党の方が、政策実行するに当たっては、自民党よりも、自分のやりたいことを実現するには、交渉しやすいとおもうのだが、なぜ、自民党なのか、良く分からないところである。私は、だれよりも宮崎県民、地方の人のことを考える。そのためには、地方分権しかない、色々やってきた、地方分権をやるには、国の仕組みをかえなければならない。だれか、それをやらなくてはいけない。だから、私は、中央政界にいき、それができるようにしっかりと見据えたい。地方分権を、郵政民営化の言葉に置き換えたら、数年前に、どこかの総理大臣が言った言葉に似ているようである。日本の総理大臣の言葉と、地方の県知事の言葉が同じトーンである。結局、日本の総理大臣がやったこと、確かに郵政は民営化された。その結果、どうなったか、郵政解散後の4年後の今、自民党で何がおこり、日本で何がおきているのか、それが実体である。挙句の果てには、どこかの前総務大臣が、正義という言葉まで持ち出して、辞任までした。

 

 地方分権といっても、やはり、基礎になるのは、生産力である。農林工業、地方の疲弊は、その生産性にある。労働力が低下し、生産性が低下すれば、競争に負けてしまう。今の日本の地方の競争相手は、やはり中国なのである。地方分権といっても、その対中国に対する戦略等が、なければ意味がない。もちろん、マンゴー等の農業だけでも、宮崎は疲弊する。宮崎でも、やるべきことはたくさんあるはずである。延岡、日向の工業地帯、ナノテクノジー、エコロジー基盤としての工業基盤もそこそこある。知事一個人でできることなど、たかがしれている。だから、中央政界に行きたいというのなら、まだ話はわかる。宮崎の県組織は、私がいなくても十分機能する。仕事は組織で動く。そう割り切っているのなら、堂々とそういって、県民の支持を受けて、宮崎から、それか九州ブロックから立候補すればいいと素直に思う。

 

 構造改革なくして、成長はないといって、郵政民営化の是非をめぐって、郵政民営化解散をしたのが、四年前である。自民党が圧勝し、自民党の政策が4年続いた。参議院で民主党が勝っても、すべてが2/3条項で、四年前の議席を担保にして、推し進めてきた。民意を問わず、安部元総理、福田前総理、麻生総理と、総理大臣を自民党内の力学関係で、変えてきた。それも、タイムアップである。衆議院選挙がもう直ぐくる。世論調査等で考えれば、自民党は負ける。民主党が政権をとる可能性は高くなった。民主党に何かのスキャンダルが起きたとしても、自民、民主は拮抗する。参議院が、民主党側が押さえているので、安定政権を求めるなら、必ず政界再編は起きる。いずれにしても、自民党内は、大分裂がおきるのは必定である。そして、その張本人の小泉純一郎元総理も政界から引退であるから、小泉劇場は、政界から消える。そして、その功罪が論じられるはずである。

 

 小泉構造改革を支持する人は、今の状態は、構造改革が十分でないからであるという。小泉構造改革を支持しない人は、これは行過ぎた改革が原因であるという。確かに双方とも一理はある。構造改革をしなかったら、どうなっていたか、重たい構造体の中で、それ自身がブラックホール化になっていたので、財政破綻が起きていたはずである。構造改革の名前の下に、しなくてもいい、構造改革をした人がいたのである。一律に、青天井に構造改革を推し進めてしまったのである。日本を憂いて、誠実に利他のために、構造改革を推し進めた人もいた。しかし、それとは、裏腹に、自分たちの自利、エゴのために、構造改革をいい口実とし、アメリカの功利的なグループと手を結び、利権をむさぼった人がいたのも事実である。小泉構造改革を支持する人たちの中にも、うわべは同じでも、心はやさしい羊さんと獰猛なライオン君がいたのである。今までの囲いが放たれれば、調教師もいなくなり、まさしく、獰猛なライオン君が食い散らかす弱肉強食の世界が待っていたのである。

 

 ある程度、社会的に満たされたところでは、貧する人もすくなく、特別に利を得ている人もいない、ある程度、均一に平等に富が分配さえている状態である。日本が、高度成長し、世界的にも、豊かな国といわれたころの世界である。日本一億総中産階級といわれた時代である。分布でいえば、正しく、標準分布である。社会政策が、十分であり、富の再分配がきちんと行われた時代である。1980年代ぐらいである。80年代後半から、バブル狂想曲が生まれたのである。当然に、経済は右肩あがりである。日本は豊かになっていったのである。豊かになればどうなっていくか、当然に慢心していくのである。慣性の法則が働き、世間は楽して儲けるような体制になっていったのである。一度、楽して、生きれるような体制になれば、だれも、効率よく働かない。ある程度、いい加減にしても、誰かがやってくれるという体制が出来てしまう。だんだんと構造的に、重たく、非効率的な組織が出来てきたのである。もちろん、日本に力があるうちは、問題はない。それさえも支えることができるからである。

 

 バブルが崩壊し、社会構造が変革してきた。そして、再び、経済が回ってきた、IT革命である。そして2001年に、小泉内閣ができて、小泉構造改革が生まれたのである。小泉元首相の持論は、民で出来ることを何故、官でやることがあるのか、と言うことである。民で出来ることを官でやるから、そこに非効率がうまれ、経営効率がうまれない。だから、赤字になるというものである。小泉元首相の講演を聞くと、いつもその論調である。まったくそのとおりである。きっと、小泉元首相は、総論だけを見ていて、各論等は、人に任せていたはずである。だから、規制撤廃、民を圧迫するような官の動きは、基本的に排除だったはずである。それにより、本来、守られなければならない人たちも、自己責任のもと、捨てられていったのである。理想形の標準分布は、持てるものは、持てる側にいき、貧するべき人は、貧すべき側にいったのである。それが、二極化構造である。そして、さらに、競争がすすめば、格差社会になる。格差社会とは、陣取りゲーム、トーナメント戦である。勝ったもの通しが、戦う。そして、戦利品をとる。勝ったものが、どんどん、太ることになる。企業の買収吸収合併で、巨大化してくる。まさしく、弱肉強食である。かつてのローマ帝国、オスマン帝国、元、最終的には、すべて崩壊である。それと同じことが昨年の11月におきたのである。そして、アメリカを象徴したGMの崩壊である。

 

 

 

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