経済の最近のブログ記事
ホンダが、主要取引先の部品メーカーに対し、国内工場での人件費や維持費などの固定費を30%削減するように要請したことが、先週ニュースで伝えられた。つまり、もう、発展する要素が限界に達し、ピーク時の7割前後で、需要と供給のバランスが均衡することを意味する。世の中には、限界が必ずある。100mのオリンピック記録は、絶対に0秒台にはならない。9秒58がでれば、9秒579になり、さらに、細分化すれば、9秒5789になる。どこかに、必ず収束点が存在する。経済も右肩上がりはないし、対数的に、どこかで、寝てくる。ねずみ算のように無限にひろがらない。昔は、どんぱちと戦争で破壊しては作り、作っては壊してやりくりしていた。経済は生き物のように戦争と共に成長してきた。それだけ、地球は大きく、人間の欲望を吸収できる大きさがあった。残念ながら、もう、それはこの世にはない。核兵器が出来た以上、打てば、すべてが終わるというシステムが出来たからである。だから、破壊と再生の文化はもうない。よほど、世界同時地殻変動がおき、巨大大地震と噴火と大津波が全世界を飲み込み、この世の文明を消し去る以外には、リセットはこない。これからは、限られた資源を、限られた空間の中で、限られた人類で分け合うことしか出来ないはずである。ある意味、原始共産制に近い状態が、今後、今世紀の末から、数百年、いや数千年、それ以上、半ば永遠に続くはずである。ある意味、江戸鎖国時代の地球版が起きるはずである。そのとき、人類は宇宙空間に出て行けるかどうかである。仮に出て行っても、人の命の長さには変化がない。きっと、どこかで、人間の狂った欲望から、コンピューターのウイルスではないが、本物の人の抗体に打ち勝つ新種のウイルスをつくり出すだろう。
短期的にみて、ある程度中国の経済成長が飽和しないかぎり、日本のデフレはとまらない。中国が市場経済に参入し、価格を押し下げたからである。中国の一人当たりのGDPが、日本の70%前後に達しない限り、日本の製造現場に活気はやってこない。すくなくとも、後20年は、このままの状態が続くはずである。その要因は、資産デフレがあるからである。それを解消するには、バブル時での個人や法人の借金を消さなくてはならないからである。今の問題は、資産が目減りしていながらも、借金の額が変わらない点なのである。消費が上向かないのは、みんなが借金の返済に追われているからである。そして、中国からの安いものがどっと流れてくる。あきらかに、デフレである。しかし、時価の価値は暴落しても、借金の総額は変わらない。価格は下がる。給料は下がる。消費は落ちる。資産価値は下がる。しかし、借金の額は変わらない。内需が上向くはずが無いし、外需で韓国や中国の輸出型産業と勝てる力はない。
あきらかに、2000年以降の小泉改革は、錯覚であったはずである。中国が参入してくる。安いものが入ってくる。中国に対する設備投資で、一時は日本は潤う。しかし、その生産設備で作る商品が日本を直撃している。パイは実は増えてなく、総額はかわらず、分配率がかわったのである。貧乏人を多くし、大金持ちを作ったのである。生産設備など、抽象的である。最先端のミサイルを作る設備を中国に輸出したとしよう、たしかに、それで一時軍需特需で、景気がよくなるようになる。しかし、それが、中国に配置され、ミサイルがつくられ、それが、日本に打ち込まれたら、日本はいちころである。それの経済版が起きているのである。
固定した概念で、物事をみると、高速道路を無料化したら、そこからの収益が減って、赤字が増えると考える。その論理でいくと、検索ソフト、グーグルやヤッフーなど、企業としてなりたたない、そもそも、民間の放送局というのも存在し得ない。しかし、実際には、無償で放送を開放しても、一般の視聴者からお金をとっているNHKと同じように民放はなりたっているし、グーグルやヤッフーに、誰もお金など払ってないけれど、企業としては優良トップ企業である。多くの人が見て利用しているから、そこに宣伝広告収入費として、収益が落ちるという考え方である。実際に、膨大な利益が得ている以上、それは正しいということである。タレントや芸人が、一般の人よりもより豊かに生活できるのも、知名度があるからである。だから、無名のタレントを有名にしようとすれば、名前を売り出さなければならない。事務所が、お金をラジオ局に支払って、出してもらうのが、まず原則である。どこで、損益分岐点がくるかといえば、そのタレントで、どのくらいの視聴率がとれるか、どれだけの集客能力があるかできまる。つまり、はじめから、だめだと決め付けたら、収益などあがらないし、発展する可能性すら消える。投資という考えがなりたたない。何もしないで、枯れていくのを待つのに等しい。ある意味、総玉砕である。
高速道路を無料化したら、まちがいなく、車がどっとふえる。一般道路との差別化が料金上ではないので、企業はいろいろなことを考える。すくなくとも、高速道路と一般道路との差別化がないのであるから、役人の既得権が分断される。高速道路無料化は、公務員改革と同時に進められるはずだから、規制は撤廃される。何よりも、高速道路が無料化になれば、一気に、エコロジーが加速されるということである。ハイブリッド40%削減でも、車が倍になれば、トータル排出量は増える。だから、より、完全なクリーンな動力の方向へ動く。完全な電気自動車であろう。そのためには、ナノテクノロジーの技術がより必要になる。日本のお家芸である。電気をまかなうために、太陽光や脱化石燃料エネルギーへとすすむ。コンパクト化と超高密度度には、ナノ化と均一化がもとめられる。分級して、分けられていたら、それはもはやエコロジーではない。高速道路の側道に、太陽光パネルが敷き詰められ、どこでも、充電できるようになるはずである。膨大な資金と投資が動くはずである。むかし、携帯電話の枠の規制を緩和したおかげで、今日の膨大な通信の市場が存在している、それは、厳然たる事実である。民主党は、その原理をしっている。だから、自信がある。小沢一郎代議士はそう確信しているはずである。
排ガス規制のときもそうだった。世界で一番きびしい規制をつくった。日本の自動車会社はそんなことはできないと反対した。しかし、それを貫いた。その結果、アメリカを抜いて、日本車がトップになった。だから、日本の自動車会社には、プライドがある。日本の生産技術の考え方の方がISOよりも上であると思っている。そのとおりである。
あきらかに、戦後からの大量消費型の経済戦略も終わったし、ホリエモンを代表するような、非合法すれすれな錬金術も、終わった。アメリカの市場原理主義も幻想であることがわかったし、情報が開示されれば、その中で、どれだけのピンはねが行われていたかも段々とわかってきた。つまり、これからは、楽して一攫千金というのは、難しいという時代に突入したと言うことである。ここでいう、みそは、楽して一攫千金という言葉である。もともと、楽して一攫千金などありえない。そのありえないことが、起きていたから、世の中がおかしくなっていったのである。
8月の末に、総選挙が行われる。まちがいなく、民主党が勝つ。もちろん、自民党が、都議選の反省をし、各個人の候補者の議員生命をとして、がんばれば、可能性は低いが、自民党にも芽があるかもしれない。しかし、その場合には自民党のマニュフェストは、限りなく民主党と類似したもので、民主党が政権をとろうが自民党がとろうが、日本の今後の在り処にはさほどの変化はない状態になっているはずである。いずれにしても、官僚組織に、費用対効果、能力主義、厳罰主義の民間では当たり前の査定が導入され、大幅な無駄なコストが削減される。公僕という意味が、税金を飲み食いするのではなく、税金を有効に生かすことが公僕の意味であると分かるはずである。それを実践している限りのみ、身分が保障されることとなる。当然に、全国知事会が主張している道州制、地方分権がすすむのは必死であるから、地方の公務員にも、同じスケールで、身分と報酬との兼ね合いが適応されるはずである。すべてが、平均化へもどろうとしているのである。
ある意味、バブルがなくなり、人は実質的な視点で物事をみる。それが新たな価値観をうむ。むかしは、アウトレット商品など、見向きもしなかった。二級品や展示品も嫌がった。いまは、中古品でも十分である。行き過ぎた格差社会が、バブルの夢を見ることさえ、不可能にさせたのである。2DKの住宅に住んでいる人が、一時は億ションに住めるかもしれないと幻想を見させたが、それがあの世の夢と同じことだと悟らせたのである。あきらかな価値観の変革が襲い掛かる。高級有名ブランドバックをもって、歩くことよりも、エコバックや、廉価なものをオリジナルに加工して、持つことの方が、粋なことだと、人は思うようになる。そのように、マスコミは洗脳する。最高級の車を一人で乗り回すこと事態、反エコロジーで恥ずかしいことだと、人は思うようになるはずである。一人でのるなら、プリウスやインサイト程度で、十分だと考えるだろう。
自民党も民主党も、累進課税を元にもどし、楽して儲けた人から、税金をとり、それを中間層に、もっていく成策をとるはずである。当然に、公務員の二重行政の補填する余裕はないため、途中でピンはねはされないはずである。もし、自民党でも、民主党でも、中途半端な政策をやっていたら、まちがいなく、次は、民主党から共産党へ議席はながれるはずである。それが、民主政治である。世論の風で、政治は変わることを国民は理解したからである。一部の大企業が豊かになっても、国民が疲弊したら終わりである。そして、国民が疲弊したら、結局、ほとんどの大企業も終わりになる。それが今回実証されたはずである。
人は、自分だけは大丈夫と考える。だから、暴飲暴食、喫煙を繰り返す。常に、自分だけはと考える。しかし、新聞をみれば、誰かが、毎日、何かの理由で自らの意思とは関らず死んでいる。ジョギング中に落雷にあって死亡した人もいた。だれが、ジョギングに出た後、落雷で死亡することを予見できたであろうか。道を歩いていたら、上から人が落ちてきた。巻き添えになって死亡した人もいた。何気なく、散歩にでて、通り魔に刺されて死亡した人もいた。ジョギングすることも、ビルの下を歩くことも、繁華街をあるくことも、誰もが行っていることである。明日、自分がそうならないとも限らない。そう、人は、目の前に何かが起きなければ、何も分からないものである。外部から危険を感じないかがり、従来のやり方など変えることはできないのである。
経済も同じである。需要と供給の上の仮想ゲームが、今の経済である。買い手がいる。買い手にお金がある。多くの人が、それに価値があると思っているから、その価値が決まる。それが、相場である。一ドルが100円ぐらいだろうと、思えば、100円であるし、90円であると考えれば、90円である。それを決めるのは、色々なことを言う人もいるが、多くの人が、100円ぐらいが妥当だと思うから、100円になる。ガソリンの価格もそうである。
多くの人が、世の中は右肩上がりで、作れば作るほど、物はうれて、豊かになると考えていた。だから、どんどん作ればいい、車も作れば売れる。なぜ売れるのか、使っている車をスクラップにするからである。作っては、こわしてゴミにして、そして、新たにつくる。携帯やパソコンもそうであった。新しい携帯電話がでる。古いのはすてる。古い携帯電話で、山ができる。そう、今までの経済はそうであった。そういう価値観があったからである。だれだって、一年前よりも、いい携帯電話があれば、そちらが安ければ、買い換えるのは当然である。なぜなら、経済成長するには、物を作らなければならないからである。そういう価値観で支配されていたからである。多くの人が、そうであると信じたからである。それが、経済を動かしていた価値観である。
それが、何故、破綻したか、その膨張型市場経済が破綻したのは、その右肩上がりの膨張が幻想であると気づいたからである。なぜなら、地球が有限だからである。そして、その膨張型の経済に抑圧をかけたのが、地球温暖化である。だんだんとしのびよる温暖化の恐怖が、多くの人に、今までのやり方は間違っていると気づかせたのである。外部から多くの人に危険を教えたからである。
ゴミ屋敷と一緒である。作ってはこわして新たに作る。壊したものは、ゴミとなる。ゴミを綺麗にもどすにも、コストがかかる。だれも、そんなものにお金を掛けたくはない。ペットボトルの飲料が100円です。今日から、150円に値上げします。なぜなら、その50円が、リサイクル代だからです。むかしなら、そんな飲料を買わなかった。今でも、捨てるのに、お金を払うのに抵抗をもつ人が多くいるのも事実である。なぜ、それが、今は可能になったか、エコロジーと何故、言うようになったかは、地球温暖化があるからである。それをしなかったら、人類が、総崩れになるからである。人類がいるから、お金が必要になり、経済も出てくる。ファンドの人も、人がいなくなれば、自分たちも死滅するからである。何故、核爆弾を禁止するか、使ったら、世界が終わるからである。経済も成り立たなくなるからである。

