科学の最近のブログ記事

日本の財政に余裕があった時代には、それなりの介護、看護がしかれ、医療が今よりも発達していなくても、人は、命の尊厳をある程度満たされながら、あの世に旅立つことができた。時々、大物政治家のカラー映像がテレビにうつる。田中角栄元総理大臣、宮沢喜一元総理大臣、竹下登元総理大臣、特に、いつ見ても田中角栄元総理大臣の顔つやは若く、威勢と自信に満ちて、政策がよかったか悪かったかは別として、映像からみえる姿は今でも生きているような錯覚を与える。しかし、もうこの世にはいない。秀吉ではないが、難波のことも、夢のまた夢である。歴代総理大臣は、すべて、夢のまた夢でおわっている。人間である以上、どうしようもない。

 

本日のネットで、名古屋で生活保護を受けていた一人の障害者の男性(41歳)が、6月に自宅で死亡しているのが見つかったそうである。死後五ヶ月経過していたと見られる。ケースワーカーが3月に訪問したが、室内までみなかったため、死亡していることに気づかなかったということである。残念ながら、これが、豊かな国といわれている日本の実体である。こんな豊かな日本で、こういった孤独死があることは、地球規模からみれば、とんでもないくらいの数の人が、命を失っているということになる。そう考えると、いま、なにげなく、生きていること事態が、奇跡に感じる。生きているのがあたりまえでなく、生きていられること事態が、稀有なことだと、思わなければ生きていけなくなる。自分が生かされているというよりも、たまたま偶然に、生きられる条件の方に、私という個体がいて、その個体が、たまたま私であると、考えたほうが自然であるような気がする。

 

残念ながら、人間は神仏ではない。神仏は人間の知覚では捕捉できないものと定義すれば、いないとは、論理的に証明できない。もちろん、いるとも証明できない。どう考えるかは、個人の勝手である。私は、いないと積極的に証明できない以上、いたほうが楽しいと考える人間である。知覚できないため、分からないが、もし知覚できたら、面前にいろんな霊や魂がうじゃうじゃいて、私とあそぼうといっているようである。早く、あの世にこいよといっているような気もするが、もうすこし待っててといつも言っている。そう思っていたほうが、楽しいし、気が楽である。

 

人生はある意味、登山である。上れば、必ず下ることになる。業欲をつれて、あの世にはいけない。俗にいう三途の川である。昔の人の想像力はたいしたものだと感心している。三途の渡り賃とは、よく言ったものである。いずれにしても、三途の川を越えるには、ある程度の身軽さでないと駄目みたいである。だから、エネルギーを最低のレベルまでおとし、業欲をすてて、心理的な不安要素をなくさなければ渡れない。だれでも、死ぬ瞬間は、その条件がそなわっている。その条件が備わらないと、三途の川は越えられないからである。

 

 高圧を流体にかける。その力を利用して、その流体の中に混ぜた粒子(固体、脂等)を微粒化させること、特に装置面の開発に長年私は従事している。この高圧を利用して、微粒化するというものは、アメリカから来たものである。1000kg/cm2、2000kg/cm2(今はSI単位で、Mpaだが、キロの方が感覚的に分かりやすいので、キロにする)の力である。アメリカの発想は、力には力をかけろというものである。ホースを絞って、水を勢い良く壁にぶつける。水は飛沫になって飛び散る。水が飛沫になっているので、もしその中に粒子を入れたら、粒子も細かくなると考える。実際はそうなる。基本発想は、そうであった。その水の勢いは、水の圧力に依存する。だから、その圧力を1000kg/cs2, 2000kg/cm2に高めてきた。単純な手法である。そこに、乱れが発生する事までは、気づく。専門用語だが、キャビテーションが激しく発生するとまで理解する。それはエントロピーの増大の方向、乱雑な方向へいくと納得する。その後である。その何が悪いのかが、分からない。それが固定概念のように、支配している。だれも、改造しない。日本のメーカーも、アメリカ崇拝であるため、そこには、原理的な特許がないので、コピーを繰り返す。いまでも、そうである。しかし、やり方により、制御できるのである。

 

 乱れは制御されなければならない。力をかける、エネルギーベースを上げる。水の温度を上げるのと同じである。温度をあげると、沸騰する。そのぼこぼこ感、無秩序に沸騰する姿、ホースの水を勢い良く、壁にぶつけて、無秩序に飛び散る姿、ガラスを硬い面に、勢い良くぶつけて、無秩序に、割れる姿、それが、乱れの視覚的な姿である。それをやり続けたら、滅茶苦茶になる。つまり温度を上げ続けたら、どうなるか、すべてが、火の玉状態になる。つまり、あの日の815分の爆心地、広島の状態なのである。おもちゃの火薬、花火程度であれば、かわいい、その一気に開放するエネルギーを今のところ最大限にして、実際の都市に最初に使用したのが、広島に落とした原子爆弾なのである。

 

 アメリカの民生品、医薬品、健康食品、化粧品、化学品も、エコロジーや無溶剤の必要性に気づきだした。やっと、自分たちの方法論、アプローチのやり方がおかしいことに気づきだした。なぜなら、温暖化により、エネルギーをセーブしなければならなくなったからである。滅茶苦茶に壊す。機械の部品が壊れたら、付け替えたらいい、高い圧力や力で、滅茶苦茶にしてこわせ、当然に、不ぞろいのものができる。細かいものが必要なら、それを分級して、取り出せばいい。エネルギーをたくさんつかい、非効率も、関係なく生産できればいいと言う考え方である。広大な面積、何をやっても平気な国土でもある。それで今まで、勝ってきた。

 

 そして、その結果、アメリカの金融が破綻した。無秩序に規制もなく個々を作用させれば、必ず、勝ち負けが決まる。勝ち組は次の勝ち組とで作用する。それを繰り返せば、かならず巨大な格差が生じる。そして、愚かにも、一人勝ちしたために、購買層がいなくなった。供給はあっても、需要がなくなった。これが格差社会の成れの果てである。当然に崩壊する。そのあおりで、GMも破綻した。そしてオバマ大統領が誕生し、核廃絶を訴えた。

 

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